14d5c91f.jpg   宮部みゆきの「鳩笛草―燔祭・朽ちてゆくまで」(光文社文庫)。

 タイトルのとおり、この本には「鳩笛草」のほかに、「朽ちてゆくまで」、「燔祭」の計3作が収められており、このうち「朽ちてゆくまで」については前に記事で触れた。

 3作ともいわゆる“超能力”を持った女性のストーリーである。

 宮部みゆきの小説には多くの場合、特殊能力を有する人物が登場するが、この3作はいずれも“特殊な能力をもって生まれてしまった人”の物悲しさが漂っている。

 「燔祭」は“ある特殊能力”を人のために役立てようとする執念に恐ろしさを感じるし、「鳩笛草」では“特殊能力”が消えつつある女性の焦りと失望、そして能力の消失とともに自分の命も消えてしまうのではないかという、“過去の事例がない”不安が描かれる。

 表題作である「鳩笛草」。
 主人公の女性の“能力”についてここには書かないが、その彼女はある青年の心にクラシック音楽のような曲が流れているのを聴き取る。
 あとからわかったことだが、それはクラシック音楽ではなくゲーム音楽だった。

 私はゲーム音楽とクラシック音楽を間違えることはたぶんないが、確かにゲーム音楽の中には確かにクラシック音楽のようなメロディーラインのものがある。

 かなり昔のゲームだが、子供が小さいときに夢中になってやっていたドンキーコングやボンバーマンのゲーム音楽を、私はなかなか良いメロディーが多いなと思っていた。

 で、この話は終り。

 先日、デュリュフレ(Maurice Durufle 1902- フランス)のレクイエムOp.9(1947)のCDを買った。

 それまで私が持っていたのは小管弦楽版による演奏のCDだったが、先月の札響定期で通常オーケス9b2a7608.jpg トラ版による演奏を聴いて、やっぱりこっちの方が断然好きだと思ったからだ。思い起こせば、その昔、ロジェ・ブトリーがこの曲を札響定期(第285回)で振ったときも通常オーケストラ版だった(独唱は辻宥子と勝部太、合唱は札幌放送合唱団)。
 なのにどうして私はその後、小オーケストラ版のCDを買ってしまったのだろう。ズバリ、何も考えてなかったからだ。
 でも、この曲のCDの多くは、小オーケストラ版とか通常オーケストラ版とかの表記ってきちんとされていない気がする。演奏者によって自分で判断するしかないようだ。「これは大きいかな?それとも、小さいかなっ」って。

 大太鼓やシンバルなど叩き物が加わると、この曲は劇的な表情を見せる。
 もちろん、より透明感を追求したしっとりとした小オーケストラ版が好きな人も多いだろうが(オルガン伴奏版もあるようだ)、私はこちらを取る。

 私は乾き物は嫌いだが、叩き物は好きなのだ。

fbf0cfa6.jpg  買ったのはチョン・ミュンフン指揮ローマ聖チェチーリア音楽祭管弦楽団、同合唱団他による演奏のCD。
 1998録音。グラモフォン。
 カップリングはフォーレのレクイエム

 CDタイトルに“in paradisum"とあるが、共に「楽園にて」で終わるフランスの2大レクイエムを収めていることから、こうつけられているのに違いない。

 チョン・ミュンフンはドラマティックにこの祈りの音楽を進めていくが、決して仰々しくはならず、あくまでも上品。いたずらに感情に溺れることもない。
 その知的で冷静な盛り上がりが、この作品の性質に向いている。

 特にサンクトゥスで、ホザナ!ホザナ!と歌われて高揚、爆発するところはウヒョッヒョッだ。讃えまくりましょうって感じだ。
 歌詞を知らない人は「ほざけ!ほざけ!」と叫んでいるように聞こえるかもしれない(そんなことはないと思います)。

 さて、「燔祭」に登場する“特殊能力”を持った女性―彼女はどこかへ姿を消してしまう―は、その後「クロス・ファイヤー」に再登場することとなる。その話はまた今度!(だってまだ読んでないんだもん)

 昨日アルフレッドが私のもとを訪れ、いつものように表面上は真剣な顔つきで言った。

 「実は社内報で“いま、いちばん凝っているもの”というコーナーがあって、私に原稿依頼がきたのです。でも、私、凝ってるものなどないのです。いろいろ考えた挙句、『そうだ、今年は初めてオーケストラのコンサートに行ったんだ。そして、2月の、あのショスタコーヴィチの演奏には特に感動したんだった』ということに気づきました。
 そこで、ショスタコーヴィチについて書こうと思うんですが、参考にMUUSANのブログ記事からパクってもいいでしょうか?」

 パクることと参考にすることは違うと思ったが、寛大な私は答えた。

 「もちろん構いません。タイトルは「ショスタコのあとのタコ刺しは最高!」っていうのがいいと思います。

 アルフレッドは私の快諾を喜んでいたが、私の提案したタイトルについては没にしようと考えてるのが、その瞳から瞬時にわかった。