本日、1,000回目の記事となる。

 これまでこのブログをご愛読いただいた方々に、あらためてお礼を言っちゃいたい気分である。

2822fa92.jpg  私と、そして皆さんにバラの花を!

 また、偶然にもたまたま今日、初めてこの記事にヒットした方々、「継続は力なり」という言葉があることをご存知だろうか?そう、これを機に当ブログを続けて読むことをお薦めしたい。
 必ず力がつくはずだ。書いている私が薦めているのだから間違いない。
 脱力とか他力、無気力といった力だ。場合によっては不可抗力を被ることもあるだろう。

 さて、私の記事の傾向を知っている方々なら、私の記事に傾向がないことを理解しているだろうが、それでも1,000回目はマーラーの交響曲第8番、つまり「千人の交響曲」あたりを取り上げるだろうと予想した人は多くはないだろう。
 というのも、「千人の交響曲」自体を知っている私の読者がほとんどいないだろうから。

 そのような嘆かわしい現状は別として、確かに「千人の交響曲」もちらりと考えたが、この曲、別に1,000人ちょうどの演奏者が必要というわけではないのでやめることにした。
 こういう点では、意外と神経症的な私である。

 私は閃いた。
 そうだ。タコだ。
 アイゼンシュタイン氏の好物であるタコ。
 そうすれば栄えある1,000回目にアイゼンシュタイン氏も登場できることになる(この2行で登場終了)。

 でも、タコはタコでもショスタコーヴィチ(Dmirty Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)を取り上げる。

 私が好きな作曲家ベスト3は、マーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部昭である。

 ショスタコーヴィチが交響曲第9番を作曲中であると語ったとき、皆がベートーヴェンの「第九」を頭に描き、その新作はきっと壮大なものになるだろうと期待した。

 ところが発表された交響曲は室内管弦楽的な30分にも満たない愛らしいものであった。

 この精神を私も引き継ぐべきだろうか?
 引き継ぐべきなのだろう。

 昨日のブログではベートーヴェンの「第九」を取り上げ、環境も整えてあるし。

 だから、例えばここで、ショスタコーヴィチの「自作全集への序文とそれについての短い考察」Op.123(1966)なんて曲を取り上げると、1,000回目を迎えるに当たって紹介する作品としては、実に自虐的でいい。祝祭的な気分ゼロだ。肩透かし、スケスケだ。

 この作品は、「出版されてもすぐに忘れられ、大げさな肩書きをつけても無駄だ」といった自嘲的な詩による作品。詞は作曲者自身による。

 これを私のブログに言い換えるならば、「投稿しても忘れられるどころかすぐに埋没してしまうので、ウケを狙ったタイトルをつけても無駄だ」ということになる。もともと、タイトル付けに苦労している割りに、満足したものはできないんだけど……

 でも、ここで重大なことに気づいた。
 私はこの曲を聴いたことがない。
 この事実はまさに致命的。紹介することができない。
 それに、ちょっとはお祝いモードになりたいなって欲望もある。

e22fe134.jpg   そこで「祝典序曲(Festive Overture)」Op.96(1954)。

 ひと昔前にはあまり録音もなかったが、近年になってショスタコーヴィチの作品の中でも人気作品となっている管弦楽曲である。

 ショスタコーヴィチは1948年に党中央委員会に糾弾されズタスタになったあと、その決議に従ってオラトリオ「森の歌」Op.81(1949)、カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」Op.90(1952)といった、表面的には政府に迎合する音楽を書いた(でもそういう背景を背負いながらも、「森の歌」は良い曲だ)。

 「祝典序曲」もこの一連のグループに属する作品で、第30回革命記念日を祝うために1947年に作曲された。

 しかしこのときは演奏されず、その7年後の第37回革命記念日の委嘱作品として改作、発表された。つまり改作版の初演は1954年である。
 ただし、ドン=ヴォルガ運河開通に捧げられたという話もある。

 輝かしいトランペットのファンファーレで始まり(掲載譜。このスコアは全音楽譜出版社のもの)、曲は元気いっぱいに進んでいく。

99a36cfb.jpg  ショスタコーヴィチはこの作品について、「困難な戦争の時代を体験し、敵に踏みにじられた祖国を復興させる1人の男の感情を描きたい」、「新5か年計画の再建事業への熱狂の表現」と語っているが、完成されたのがスターリンの死(1953年)の翌年であることから、スターリン体制からの解放を密かに祝っているのでは、という憶測もある。

 私の手元にはいくつかのCDがあるが、いちばんよく聴くのはテミルカーノフ盤。オケはもちろんサンクト・ペテルブルク・フィル。
 1996録音。RCA。

 この私のブログ、第1回目の記事は「お盆にショスタコ」というタイトルのものだったと思う。
 思う、というのは、すでにこの記事は削除してしまっているからで、自分の書いた文にもかかわらず、記憶が曖昧なのだ。

 この記事では、彼の交響曲第15番をお盆に聴いたらどーたらあーたら、って書いたはずだ(なお、投稿後削除した記事については1,000回には含まれていない)。

 そして、奇しくも1,000回目もショスタコ。

 こうなったら、わざとらしく3周年記念記事もショスタコにするんだろって?

 どーしてわかっちゃうのかなぁ、私の発想を。