5f7a4aaa.jpg  今回私が受講した研修は、そのほとんどの時間が4人の固定グループによって進められた。

 グループ学習というのは、そのメンバーによって時間の価値性が大きく変わるが、今回のメンバーには日本語の読み書きができない人もおらず、しかも程度の差はあれ、私の既知の人たちだったので、かなり温かな雰囲気で進められた。
 その3人が私のことをどう思っていたかはしれないが、少なくとも部屋に入れてくれないといったことがなかったので、概ね受け入れられたのだろうと思う。

 4人でいろいろなことを話し、お節介かもしれないが自分のことを棚に上げてアドバイスをする。いわば、4声の音楽のようだ。ただし、あまり対位法的ではなかったが(そうでなかったら、対立構造となってしまうし)。

 趣味について話したとき、1人が昔やりたかったが買ってもらえなかったフォークギターをこれから始めると言った。
 実に前向きな姿勢だ。
 その話を聞きながら、私は心の中で日曜の昼にやっていたスーパー・ジョッキーだか何とかというTV番組の賞品のことを思い出していた。奇人・変人コーナーとかに出ると白いギターがもらえたのだった。

e7938a31.jpg  別な1人は、子どもの頃に習っていたピアノを再開するという。
 もちろんピアノ製作ではなく演奏だ。

 バッハとショパン、特にショパンを練習しているという。
 若くて美しい女性教師と密にお話ができて、とてもうらやましい限りだ(想像だけど)。

 てなことで、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)を取り上げる(ショパンじゃないんかい!)。

 「3声のインヴェンション(シンフォニア)(Inventione a 3 (Sinfonia))」BWV.787-801(1720⇔23)。長男ヴィルヘルム・フリーデマンのクラヴィア練習用に書かれた作品である。

 今さらながらに言うと、“3声”の“声(せい)”というのは“声部”のこと。英語で言えばpartである。「3声のインヴェンション」のような楽曲の場合は、「フーガなどの対位的多声楽曲における各旋律線」のことをいう。

 上に載せたのは、この作品(15曲からなる)の第1曲の前半部分の楽譜(音楽之友社)。
 矢印で示したように、旋律線が3本あるのだ。
 だから3声。
 バッハの作品は“対位的”楽曲なわけで、この3つの旋律線が各々独立しているように進んでいく。
 簡単に言っちゃったけど、すごいことではある。

af2de3f9.jpg  「3声のインヴェンション」ついでに書くと、先日紹介した「考える人」の村上春樹ロング・インタビューのなかで、村上春樹は次のように語っている。

 《BOOK1、BOOK2は平均律クラヴィーアを踏襲しているわけだけど、BOOK3は三人のボイスで進行していく話で、これはバッハで言えば三声のインヴェンションみたいな感じですね。なぜそういう書き方が可能になったかというと、三人称で書けたからです。BOOK1、BOOK2に関しては三人称で書いてはあるけれど、青豆の視線も天吾の視線も、ある部分、一人称を引きずっている。でも、牛河に関しては、これは三人称でなければ絶対書けない。彼がそのように入り込むことによって物語がさらに膨らみました。三人称の必然性がはっきりしてきて、僕としてはそういう手応えがあった》

 ふ~ん。
 BOOK1とBOOK2って、“踏襲”していると言えるくらい平均律クラヴィーアのようなものだったかな?章数はそうだったけど。

 これまた、余計なお世話の基礎的な話だろうが、一人称っていうのは「僕」とかっていう書き方で、三人称っていうのは「牛河」とか「ナカタさん」という書き方。ついでに二人称ってのは「あなた」とか「おまえ」といったもの。
 中学の国語レベルのことだろうけど、正直なところ私、ときどきこんがらが(“か”が正しいのか?)ります。

 さて、「3声のインヴェンション」のCDでは、前にシフのピアノ演奏によるものを紹介したが、やっぱりこの曲はチェンバロで聴きたい。
 そこでコープマン盤(このCDは「2声のインヴェンション」のときに紹介した)。

63aee089.jpg  1987年録音。カプリチオ。
 ところがぎっちょん、この名演CDは現在廃盤。

 代わりに、ここはひとつ、トヨタ車のように、すごい面白みはないもののまあ間違いはない(このところ、そうは言えないけど)レオンハルト盤を紹介しておく。

 ラベンダーの花も終わり(写真は1週間前のもの。あんときゃあ良かった)、アカトンボが飛び回るようになり、やれやれ、いまや冬に向かって一直線である。