私のブログ記事は多くの場合、“昨日”とか“おととい”とかの過去の出来事を書いていることが多く、しばしば読者の方々に混乱を招いていると思う。深くお詫びすると同時に、文章から正しく時制を判断する訓練をしていただけたなら、私としても喜びこの上ない。

 ということで、おとといの話。
 おおといは日曜日。
 それが8月1日だったこと、私の体調がニ短調だったことをご記憶の方も多いだろう。

 日曜日だが、私はよんどころない事情から、朝から麻生に行って来た。
 麻生は「あさぶ」と読む。
 東京にあるのは麻布で「あざぶ」だ。
 ただそれを言いたかった。

 私も麻生はあざぶだと思っていた。地下鉄南北線が麻生まで延伸するまでは。
 でも、「まもなく にばんほーむに あさぶゆきが とうちゃくします」というアナウンスが流れるのを聞いて、「おぉっ、麻生はあさぶだったのか!」と思った次第(ぜんぶひらがなで書く意味はなかったな)。

 そういえば、ずっと昔、北海道の旭川、つまり「あさひかわ」は、国鉄の駅名では「あさひがわ」だった。でも滝川は「たきがわ」ではなかった。

 何を言いたいのかというと、自分でもわからない。

 そうそう、日曜日の朝、小雨降る中、私は麻生へと向かったのであった。

2716e71e.jpg  そのとき聴いていたのがシュニトケ(Alfred Garrievich Schnittke 1934-98 ソヴィエト→ドイツ)のヴィオラ協奏曲(1985)であった。
 大きなオーケストラを必要とするコンチェルトで、打楽器も数多く使われる。

 ラルゴ―アレグロ―ラルゴ、という緩-急-緩の3楽章構成。

 この中でも第2楽章の色彩感、シュニトケの作品にお決まりの「何かの引用」、そしてヴィオラが甘ったるく病的に繰り返し歌うフレーズの悲しき官能美!背景のオーケストラの効果!

 これははまる!

 シュニトケの魔性のなかでもひときわすごい部分。
 シュニトケの音楽は、最初はよくわかんない闇鍋のような感じだが、それを味わっているうちに虜になってしまう。あぁ、不思議……、いったい鍋に何を入れたの?

 魔性の女っていうのがいるのならこんなんなんだろうな。天地真理じゃ興ざめだけどと、ほとんど音楽にラリってしまいながら、そう考えていた私(注~天地真理は落ちぶれたあと「魔性の香り」だかというポルノ映画に出た。私は観てないけど)。

 この曲、先日のピアノ協奏曲(第2番)とともに、シュニトケの2大傑作協奏曲と位置付けたい(今のところ)。

 私が聴いているCDは今井信子のヴィオラ、マルキス指揮マルメ交響楽団による演奏のもの。カップリングは「イン・メモリアム」。
 1989録音。BIS。

9630ebc1.jpg  昨日の昼は、元気をつけるためにタンタン麺にライスに、他の人(もちろん知っている人、というか一緒に食べに行った同僚)が頼んだ麻婆豆腐をおすそ分けしてもらい、“打倒 風邪後遺症”を試みた。おなかの満足感は妥当以上だったが、こんなものを食べたせいで、食べている最中から鼻水洪水注意報が発令された。

 今朝の庭。
 カエルくんが2匹。
 どちらもニュー・アヴェマリアの上にて。

a0ddfd01.jpg  ニコルくんでは、ぜんぜんありません。

 だって、まだちびただもん。

 かわいいやつらよ……