10cd8d7b.jpg  ここ1カ月ほど、マーラーの交響曲第4番ばかり聴いている。

 「そんなことないだろ?ほかにも聴いてるだろ?」という、あなたの指摘は正しい。

 「ほうら、ウソつき!」という、調子に乗ったあなたの指摘は正しくない。

 「ばかり」というのは言葉のあや。ウソではなく、美しい日本語のアヤである。

 そりゃ、ハチャトゥリアンの第2番第3番の交響曲も聴いてるし、モーツァルトのピアノ・コンチェルトやらバルトークの鹿の歌、プロコフィエフの中尉の曲なんかも聴いてる。それはお察しのとおり。

 「だから、やっぱりウソつきだ」というあなたは、はっきり言って心が狭い。専門的には狭心症という危険な病気である疑いも捨てきれない。

 とにかく、私はこの1カ月ほどで何十回もマーラーの交響曲第4番を聴いているのだ。そのほとんどの場合がガッティ盤である。

 マーラーが大好きな私。うふっ。
 しかし、完成された9曲の交響曲と「大地の歌」の計10曲中、第4番は第8番とともに、私にとっては鑑賞頻度が低い作品だ。4と8という数字は好きなんだけど……

 第4番は曲の長さや編成の規模から、マーラーの交響曲の中ではどちらかというと入門曲の部類に位置付けられていたし、実際LP時代から、レコードの数も第1番と並んで(ほかの交響曲よりは)多かったはずだ(LP1枚に収まるから)。

 ところが私は、どうもこの曲、マーラーっぽくなくてのめり込めなかった。

 第1楽章のバロック音楽を思わせるような低音弦のパッセージや、全体的に響きの重心が高いところなどが“後退”のように感じられたのだ。

 そもそもトロンボーンやテューバが編成に加わっていないのはマーラーらしくないではないか!第3交響曲ではホルンの数が8本まで膨れ上がったのに、4番ではたったの(!)4本だ。

 第1楽章以外では、第3楽章の終わり近くでオーケストラの爆発があるだけで(私はしばらくの間(ということは、みなさんが想像する以上に長きにわたって)、この盛り上がりから第4楽章に突入していると勘違いしていた)、「もっと盛り上がりたいのに」と不満が残る。終楽章は声楽が入るといってもアルト1人で、ケチっぽい。
 さびしい。
 
 しかし、最近になって、スコアを眺めながら聴くようにしてみた。

 長木誠司氏の「グスタフ・マーラー全作品解説事典」(立風書房)を参考にしながら、健全な青年がある種の映像に施されたモザイクを凝視するかのように、素人ながら真剣にスコアを見てみた。

 すると、「こりゃあすごい。うほうほ」と、やっとこの歳になって気づいた次第。
 でも、直感的に「バロック音楽のようだ」と感じたのは、間違いではなかった。
 あら、対位法。おぉ、対位法!またまた、対位法!! うぅっ、体位4。すまん

 キノコ鍋の中で何種類かのキノコが浮き沈みし、絡み合い、でもそれぞれが風味を自己主張しているようだ。全然適切な例えじゃないけども。
 
 ある動機があの動機と結びついて、かと思えば、あっちの動機に変化して、ある動機とあっちの動機がそっちの主題を作って、こっちの動機が変化していくうちにあの動機が入り込んできて向こうの主題になって、って具合で、すごい絡み合いなのだ。

 あっ、この動機がこんなところに!おや、あっちの動機はあの動機の変形か、などとだんだんワケがわからなくなってくるほど込み入っていて、いや精緻に書かれていて、「ほら、だからトーシロが足を突っ込むんじゃない」とばかり、驚きの発見がイライラに変化していき、「飛雄馬、まだわからんのかっ!その源は第4主題だ!」と、星一徹ならちゃぶ台をひっくり返すところだ。

 ということで、かいつまんで言えば、私は今、すっかり第4番にはまってしまっている。

 交響曲第4番は本当のところ、全然入門曲じゃない。“後退”と感じたのは「遺物になりつつあった“交響曲”をパロって」いるからだ。
 村井翔氏も書いているように、これはマーラーが書いた「古典交響曲」なのだ。

 がぜん他の演奏も聴いてみようかと思い立ち、新譜では全然ないが、シノーポリ盤を買ってみた。シノーポリ盤を選んでみたのは1,000円と安かったから。実に実際的な理由だ。

 シノーポリってモノポリーみたいな名前だが、精神医学者でも作曲家でも、そして考古学者でもあった多才な指揮者だ。
 マーラーの演奏でも人気があった。精神科医の立場から、精神が病んでいたマーラーの音楽にアプローチした(んだと思う)。
 なのに、歌劇「アイーダ」を指揮をしている最中に心筋梗塞で倒れ急逝してしまった。「なのに」ってことはないけど。そのときは動悸してたのかな。

 鈴木淳史氏は「クラシック悪魔の辞典【完全版】」(洋泉社新書)のなかで、シノーポリについてこう説明している。

 元精神科医が精神病患者マーラーの作品を演奏するというので話題になり、ホールを診察室へ模様替えし、理屈では考えられない病的な演奏を残したまま、ワーグナーを診察中に他界した。

 鈴木氏は「ワーグナーを診察中に」と書いているが、確かヴェルディの「アイーダ」の第3幕を指揮中に倒れたはずだ。

 私もシノーポリのマーラーは病的というか、物足りないというか、かなり一般的な演奏とは異なる印象があったが(何番を聴いたことがあったのか忘れたが)、交響曲第4番を聴いたところでは、どろどろしたものではなく、むしろ颯爽と進んでいく。
 昔の私だったら(前世の、という意味ではない)、この演奏はけっこう気に入ったと思う。いや、もちろんいま聴いても悪くない。

 でも、インバルガッティの演奏、特にガッティの指揮による演奏を聴いてしまうと、シノーポリの演奏はやや健康的で、この作品が秘めている“恐ろしさ”が希薄だ。この曲はグリム童話のように、本当は怖いのだ。

 でも、そこは聴く人の好み(って、最後はそういうまとめかい)。

 シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団による交響曲第4番の録音は1991年。この10年後、シノーポリは亡くなる。
 グラモフォン。