ケージ(John Cage 1912-92 アメリカ)の作品に「ラジオ・ミュージック(Radio Music)」(1956)というのがある。
ケージといえば偶然性音楽で有名。
「ラジオ・ミュージック」は最大で8人の奏者(?)によって演奏される6分ほどの作品。奏者たちは楽譜にしたがって、ラジオのチューニング・ダイヤルを指定のところに合わせていく。
掲載した楽譜(と言うんだろうか?)はパートA、つまり第1奏者(操作者とも作業員とも言える)のものである(掲載したのはPETER社から出版されている楽譜)。
ラジオのチャンネルを合わせるということは、演奏するときによって出てくる音が違う。あったり前だ。
日本で演奏するならば、落語だったりニュースだったり流行歌だったり演歌だったり気象警報だったりCMが混然と響き渡る。その行為を、たとえば10分後に同じようにやったとしても、決して同じ音の集合にはならない。
だからこそ偶然性の音楽なのだ。
二度と同じものは生まれない。
ところが私はこの曲のCDを持っている(CRAMPS RECORDS)。
偶然性の音楽という使命をもったこの作品を、録音として残すなんて邪道なのかもしれない。ケージが生きていれば怒りまくるかもしれない。
でも、どんなものだか聴いてみたくなるのも事実。
ということで、“あるとき”の偶然によって生まれた演奏を、私も持っているわけだ(このCDには4'33"も収められている)。あくまでの一例ってわけだ(どんな曲だって、録音はある時点での一例なんだけど)。
ピーッ、ギャラララ、ピュウ~ン、英語のナレーション……
そんな“雑音”のなかから突如、美しいメロディーがかすかに聞こえてくる。
モーツァルトだ!
こういうとき、それはとても懐かしく感じられる。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537(1788)。聞こえてきたのは、その第1楽章のほんの一部である(スコアを載せた下線の箇所。このスコアは音楽之友社のベーレンライター版)。
ウィーンでのモーツァルトは、自ら催した予約演奏会によって人気の絶頂を迎えたが、それはピアノ協奏曲の創作においても、もっとも輝かしい時期であった。
その絶頂期は1784年から86年までの3年間で、この間に12曲のすばらしいピアノ協奏曲が作曲された。しかしこのあと、1791年末にモーツァルトが死ぬまでの間に書かれたピアノ協奏曲は、たったの2曲にすぎない。
1786年12月5日(とされている)。
この日はモーツァルトの4回にわたる待降節予約演奏会の最後の日で、ピアノ協奏曲第25番K.503を、モーツァルトは演奏したと考えられている。
その記録が正しかった場合、モーツァルトの輝かしい日々は12月5日をもって急に幕を閉じたことになる。
その理由の1つは、1787年から死の1791年の5年間のモーツァルトの関心はオペラや交響曲、室内楽曲といったピアノ協奏曲以外のジャンルに向いたことにある。
しかし、もっと現実的な問題として、あれほどお客がやって来た予約演奏会を開こうにも、もはや開けなくなっていたことがあげられる。予約演奏会を企画しても、お客が集まらず演奏会中止を余儀なくされるということが起こっていたのである。
そして、それは当然のこととしてモーツァルトの経済状態の悪化をもたらした。
1787年、モーツァルトは歌劇「ドン・ジョヴァンニ」によってプラハで成功を収める。「フィガロの結婚」についでの成功であった。
さらにこの年の秋には、亡くなったグルックの後任としてヨーゼフ2世から“皇王室宮廷室内作曲家”の称号が与えられた。
こういった追い風を受けてモーツァルトはウィーンでの栄光を再び夢見た。そして、翌’88年、四旬節の予約演奏会を開くことを企画、2月末にピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537を完成した。
しかしこの予約演奏会は結局のところ開催されなかったようである。つまり、それまで彼が生み出したピアノ協奏曲と違い、完成、即発表という形をたどらなかったわけである。
この曲がモーツァルトによって初めて演奏されたのは、完成から1年余り経った1789年の4月、ドレスデンの宮廷音楽会においてだったと推測されている。
なお、モーツァルトは翌1790年にフランクフルトでこの協奏曲を演奏している。レオポルト2世の戴冠式祝典を目当てにこの地を訪れて演奏会を開いたのだった。
このときはこのK.537の協奏曲とK.459のピアノ協奏曲(第19番)の2曲が演奏されたようだ。
というのは、K.537はJ.アンドレから初版が出版されたのだが、その同じ年にK.459の初版も出版されており、それぞれの表紙に「この協奏曲は、皇帝レーオポルト2世の戴冠式の折に、フランクフルト・アム・マインで作曲者自身によって演奏された」と記されているからである。
そして、このようなことからK.537のピアノ協奏曲は「戴冠式」と呼ばれることがあり、またK.459の方も「戴冠式」と呼ばれることがある。
第26番K.537は当初の目的のためか華々しい音楽になっているが、その前の12曲のピアノ協奏曲ほどは複雑ではないとされている。
また、この曲のピアノ・パートには、他の協奏曲と比べても特に不完全な部分が多い。しかし、J.アンドレ社から初版が出版された際には、自筆で欠けている部分にも補筆がなされ完成されている。これを行なったのが誰かははっきりしないが、おそらくはJ.アンドレその人だろうと考えられている。そして、この補筆された楽譜が現在も受け入れられている(ベーレンライター版スコアでは、その箇所の楽譜は小さな音符で印刷されている)。
CDではグルダが弾いた、アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のものをあげておこう。
1983年録音。テルデック。
参考:作曲家別名曲解説ライブラリー「モーツァルト〈1〉」(音楽之友社)
新館入口(2014.6.22~)
御多分にもれず参加中・・・
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