171d2be0.jpg  タコ話をそのまま引きずることにしよう。

 アルフレッドの苦悩は、昨日の記事に寄せられた彼のコメントでもおかりになるだろう。
 そう、タコ好きのアイゼンシュタイン氏は、ここにきて人様にいろんな迷惑をかけているわけだ。

 私が最初に買ったLPレコードはショスタコーヴィチ(Dimitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第5番(ニ短調Op.47(1937))、それとラフマニノフのピアノ協奏曲第1番/第2番の2枚であった。

 ということで、タコはタコでもショスタコの話である。

 話は変わって、るようで、実は変わらないのだが、Meitneiriumさんからコメントが入った。
 でも、本人の希望で公開しない。
 いわば私への私信だ。うふっ、やらしい……失神しちゃいそう。←冗談ですって!

 その内容というのは、フィギュアに関する私の知識のなさに対する憐みについてがまず第1点目。でも、悲しくないもん。興味ないんだもん。

 第2点目は私がKitaraで行われたムーティ/ウィーン・フィルの演奏会で1匹のハエに取りつかれた話への共感。

 第3点目は、ブログの文章を読んだだけで鋭い洞察によって私が通っていた高校を断定しているところ。見事、正解。

 第4点目は、Meitneriumさんの奥さんの実家が西野にあったということで、私の書く西野盛衰記に複雑な思いをしていること。

 第5点目は、まぁこの先も更新がんばれや、と叱咤激励していること。

 以上である。

 で、西野の話。

 当時、札幌は西野にあったワクワクするようなショッピング施設“カスタムパルコ”の1階に、コーヨーのレコードショップがあったのだ。

 コーヨーというのは光洋無線のことで、なかなか大きな家電チェーンだった。
 もう一つ大きかったのがそうご電器だったが、どっちも今は潰れてしまった。

 コーヨーにはコロンビアとセラフィムの廉価盤が主として置いてあり、一方、その近くにあった“ぴぴ”というレコードショップにはRCAの廉価盤が置いてあった。
 ただし正確に言うと、そのころはまだ“ぴぴ”ではなく、“びび”だった、というのはつまらない大嘘で、“大西商会”という名前だった。
 社長の名前が大西ぴぴ……ってわけじゃないけど(たぶん経営が変わったと思う)。

 私がレコードを買うようになったころは、それまで1,000円盤と呼ばれていた、つまりは1,000円で買える廉価盤が値上がりして消滅し、セラフィムが1,200円、RCAの方は1,300円になっていた。
 なんだかすっごい損した気分になったものだ。
 あと5年早く生まれてりゃあ、1,000円でレコードが買えたのに!

 そのショスタコーヴィチの交響曲第5番は、1958録音。
 オーケストラはニューヨーク・スタジアム交響楽団という、はてさてな団体だが、このオケ、実はニューヨーク・フィルのことである。契約上の問題からこのような団体名で録音したのである(ニューヨーク・フィルはバーンスタインの指揮で、CBSにこの曲を録音したので)。

 どんな演奏だったか、あまり細かいことは覚えていないが、悪くない演奏だったと思う。それ以前に、この演奏が私の心の井戸に無意識に刷り込まれているに違いない。

 つまり、あの頃の西野は伸び行く街だったわけだ。
 私の通っていた中学も、2年生のときには15組まであったくらいだったし。