昨日の記事で石井眞木の「オーケストラのための『序』」を取り上げたが、私がこの曲を札響定期で聴いた日の演奏会パンフを懐かしく読んでいたら、ほほぅという記事にぶつかった(あっ、痛っ!)。
それはそのころ連載されていた「楽界プロムナード」という記事で、書いているのは音楽評論家の横溝亮一。
その記事の最初の部分を紹介しよう。
今、東京文化会館で開かれたコレギウム・アウレウム合奏団のコンサートを聞いて帰ってきたばかりである。この団体は―(中略)―いかにもドイツ的ながっちりしたアンサンブルをみせる合奏団である。すべて直線的というが、モーツァルトの曲などでは、しなやかさがあまりなくて、少々そっけない面もある。しかし、バッハの管弦楽組曲など、弦5人、フルート1人、チェンバロ1人という最少人数で演奏して、バッハの勤めたケーテンの宮廷におけるコンサートもかくやとしのばせる面白さがあった。
ところで、この曲でフルートを吹いたのは有田正広君という若い日本人であった。フルート・トラヴェルソ、つまりフルートが横笛になったばかりの時代の、キイがひとつしかない古典的楽器を操って、有田君はたいへん見事な演奏をした。他の6人のドイツ人たちに一歩もひけをとらず、よく融合しつつ、かつ、自己を主張する演奏として、とても立派だった。
コレギウム・アウレウム合奏団は、古楽器オーケストラの先駆的存在である。
いまでは当たり前になったとも言える、ピリオド演奏も当時はまだまだ珍しかったのだろう。横溝氏の困惑した気持ちが文面に表れている。
私なんかは、このころはまだピリオド演奏というものをまったく知らなかった。
それはともかくとして、ここで有田正広がまだ“若い日本人”として“君”づけで書かれていることを発見して、私は「へぇ、この大家がこんなところで紹介されてたんだ」と感心というか、驚いたのだった。
先日のテレマンの「6つの四重奏曲集」のときに取り上げた有田正広。
彼は1949年生まれだから、横溝氏が東京文化会館でのコンサートを聴いたときにはまだ26歳前後。
確かに有田正広“君”である。
それが今や世界に認められるフラウト・トラヴェルソ奏者なんだから、立派になってくれて嬉しい、って感じだ。
そういえば、就職したときに課の先輩が私にこういう教訓をたれた。
「来年以降、君の後輩にあたる新人が毎年入って来るだろうけど、少なくとも7年以内の人は君づけで呼ばない方がいい」
どういうことかというと、いつ、その後輩の方が自分を追い越して偉くなるかもしれないからってこと。7年もあけば、よほどのことがない限り追い抜かれることがないってことらしい。
しかしねぇ~。
そういうこと考える前に、自分の仕事をちゃんとすりゃあいいと思うんだけどなぁ。
その有田とトウキョウ・バロック・トリオの演奏による、テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の「パリ四重奏曲(Pariser quartette)」。
「パリ四重奏曲」は第1部と第2部に分かれており、第1部が先日紹介した「6つの四重奏曲集(Quadri)」。こちらは1730年刊(ハンブルク)で、再刊は'36年、パリにおいてである。
今日紹介する(CDでの表記が)「パリ四重奏曲」の方は第2部にあたり、正式には「6つの組曲からなる新四重奏曲集(Nouveaux quatuors en six suites)」という名である。
各曲は、
第1番ニ長調TWV.43,D3
第2番イ短調TWV.43,a2
第3番ト長調TWV.43,G4
第4番ロ短調TWV.43,h2
第5番イ長調TWV.43,A3
第6番ホ短調TWV.43,e4
で、出版は1738年、パリにおいてである。
この作品も、とても健康的で、いかにもバロック音楽という爽やかさがある。
CDの録音は1992年。DENON。
一昨日、私の上司であるピョン太リーダーが私のところにやって来て、「MUUSAN、すまないけど、来週鹿児島に出張に行って来てくれないか」と言った。
おぉ、突然!
でも、なんとかスケジュールを調整すれば行けないことはない。
でも、ピョン太リーダーが次に言った言葉は「でも、体がしんどかったら無理にとは言わないけど」というものだった。
そんなに弱っているように見えるのだろうか?私。
生きる屍のようなのだろうか?我。
ということで、来週の後半は鹿児島に行って参りまする。
