f70c62e6.jpg  私が札響の演奏会に通い出したころは、定期演奏会も、他の特別演奏会などでも、とにかくブラームスの交響曲第1番が取り上げられることが多かった記憶がある。

 この曲はその前、つまり札響の存在を知る少し前、クラシック音楽を聴くようになって半年後ほどでエアチェックして知っていたが、名曲ながら、はっきり言って地味な曲である。

 それでも人間、繰り返し聴き続けると、不思議なもので良いと思うところが増えてくる。

 良好な対人関係を築くにあたって、相手の良いところを見つけなさいというのが定説ではあるが、そうなかなかうまくいかないのは、良いところを見つける以前に、繰り返し顔を合わせるのが嫌だからだ。そうそううまくいくものではない。

 で、ブラームスの交響曲第1番だって、私は最初はそんなに好きではなかった。
 始まり方はなんか陰気くさいし、そのあとだってなんか辛気臭いし、美しい第2楽章だってどっちかというと若者好みする曲じゃないし、第3楽章はちょっと楽しいけどトライアングルが鳴るわけじゃないし、第4楽章はかっこいいけど大太鼓が加わるわけじゃない。
 そんなわけでたいした好みじゃなかったのに、持っているクラシック音楽のテープもたくさんあったわけじゃないし、「しょうがない、今日もブラームスなんぞを聴くか」と繰り返しているうちに、すっかりなじんでしまった。

 ただ、そうそう出かける機会がない演奏会で、“ブラいち”ばっかりというのは物足りなかった。
 もっとも、この曲をきちんと演奏するにはなかなか力量が問われるだろうから、演奏する側はたいへんだったろうけど。

 どうしてあの頃、札響はこの曲を多く取り上げていたのか?
 当時の常任指揮者のペーター・シュヴァルツが、この曲できちんとした音作りをしなさい、と考えていたのかもしれない。あるいは、誰かがブラームスからわいろをもらっていたのかもしれない。

 いまや巨匠の域に入っている尾高忠明の指揮を最初に生で聴いたのも、札響の定期においてで、ブラームスの交響曲第1番だった(プログラムのもう1曲はアンドレ・ワッツをソリストに迎えてのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番であった)。

 ところで、ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)だが、彼はワーグナーと同時代の、ワーグナーと同じほど偉大な作曲家である。しかし、ブラームスはワーグナーとは正反対の存在だった。ブラームスは古典派であり、標題音楽さえ書かなかった。そして、音楽の発展ということに対しては、ほとんど寄与しなかった。

 ブラームスの交響曲第1番ハ短調Op.68(1855-62,'68,'74-76。初演は1876)は、作曲年を見てわかるように、数年かけて腐る寸前まで練り上げた作品だ(失礼!)。
 ブラームスはベートーヴェンの後継者ともてはやされていたが、交響曲においてはベートーヴェンの「第九」が立ちはだかっていた。そのために、交響曲という形式を完全に自分のものにするまでは交響曲を書きあげなかったのだった。

 ブラームスの第1交響曲が発表されると、楽壇は当然のごとくベートーヴェンの交響曲と比較したが、そこで挙げられたのは、終楽章のテーマが「第九」の「喜びの歌」に似ているということだった(このメロディーは、しかし、前にも書いたようにドイツの学生歌「われらは立派な校舎を建てた」に由来していると思われる。この学生歌のメロディーは、ブラームスが「大学祝典序曲」で使っているほか、マーラーの交響曲第3番の冒頭のファンファーレにも使われている)。

 なお、ブラームスの第1番を聴いて興奮した指揮者のハンス・フォン・ビューローは、この交響曲を「第十」と呼んだが、このビューローの“おだち”は、ブラームスにとっては半ばありがたく、半ば迷惑だったという。

 名曲ゆえに数多くのCDが出ているこの交響曲だが、現時点で私はドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏をお薦めしたい。
 響きが豊かできれい。重厚さも過度ではなく、かといって不足もしていない。
 良い意味ですごくバランスがとれた演奏だ。終楽章なんか、心が温まる……
 1986録音。テルデック。

 “ブラいち”の冒頭部分。あの不安定なような弦のメロディーを聴くと、この曲を初めて聴いた頃の遠き時代を思い出してしまう……