プルーストはご存知だろうか?

 村上春樹の「世界の終りとハ-ドボイルド・ワンダ-ランド」(新潮文庫)に、プルーストの名が出てくる。

 彼女は私の顔を見ながら「プルースト」と言った。とはいっても正確に「プルースト」と発音したわけではなく、ただ単に〈プルースト〉というかたちに唇が動いたような気がしただけだった。音はあいかわらずまったく聞こえなかった。息を吐く音さえ聞こえない。まるで厚いガラスの向う側から話しかけられているみたいだった。
 プルースト?
 「マルセル・プルースト」と私は彼女にたずねてみた。
 彼女は不思議そうな目で私を見た。
  (上巻p.25)

 この間の土日に本棚を整理していて、結果的には整理というよりもかえって混乱を増大させたといった方が適切なような気がするが、プルーストの「消え去ったアルベルチーヌ」(高遠弘美 訳。光文社古典新訳文庫)が出てきた。最後のページに「2008.5.30」という鉛筆書きのメモがあるから、しかも、どう鑑定してもそれは私の貴重な直筆だから、この日に買ったのだろう。現実的考えた場合、2008年5月30日に拾ったとは思えない。

 はて?
 この本、読み終えたのだろうか?
 いやはや、そのことを覚えていない。
 覚えていないということは、読み終えても内容を理解できなかったか、あるいは途中で挫折したかだ(もし読み終えて、理解もし、そのうえ感動もしたのに忘れてしまっているとしたら、私は人間をやめることを重要議題といたしたい)。

 マルセル・プルースト(Marcel Proust 1871-1922)はフランスの作家。

 文庫の裏表紙には、

 プルーストが生涯をかけて執筆し、20世紀最高の文学と評される『失われた時を求めて』。本書は“大伽藍”とも形容される超大作の第六篇にあたり、シリーズを通じての主要登場人物アルベルチーヌと、語り手である「私」の関係に結末をつける、重要な一篇である。

 とある。

 “結末”に記憶がないし、重要だという認識にも欠けているから、やっぱりきっと私は挫折したのだろう。

 でも、2か所に付箋が付けられていた(それも前の方だけど)。

 その箇所とは、

 すなわち、何人もの女に去られた男は、その性格や容易に推測がつく同一の反応のせいで、同じような去られ方をするということである。

 ある女が原因で不安を覚えているとき、女自身が占める場所がごくわずかだということに、ある種の象徴的意味と真理があるのではなかろうか。実際、そこでは女自身のことはほとんどどうでもよくて、さまざまな偶然の力が働いた結果、女のことで味わうことになった心労や苦悩、習慣が女に結びつけた心労や苦悩のたどる道すじのほうがはるかに重要であろう。

 なんで、こんなところに付箋をつけたのか、これまた、まぁ~ったく記憶がないけど。
 でも、良い言葉だ(これ、女性の場合も当てはまると思うけど)。


 プルーストの名が出てきたので、今日はフルートの作品を(語感からの単純な思いつき)。

 ヨンゲン(Joseph Jongen 1873-1953 ベルギー)のフルートのための作品。

c093ca64.jpg  ヨンゲンは、日本ではまだあまり一般的ではないが、近代ベルギーを代表する作曲家で、印象派の影響による色彩的な作品を残している。

 今日紹介するCDは、ナクソスから出ているフルートのための作品集。
 収録曲は、

 ・ ゆるやかな踊りOp.56b(1918)
 ・ フルート、チェロとハープのための三重奏曲Op.80(1925)
 ・ フルートとピアノのためのソナタOp.77(1924)
 ・ 4本のフルートのための悲歌Op.114-3(1941)
 ・ 3本のフルートと1本のアルト・フルートのためのワロン地方のクリスマスキャロルによる2つのパラフレーズOp.114-1,2
  (以上、表記はCD記載のものによる。なぜ、わざわざこのように書くかというと、井上和男の「クラシック音楽作品名辞典」で記載されている作品番号とズレているものがあるから)

 どの作品もちょっと幻想的な絵画を観ているような感じがする響きがある。
 だまされたと思って聴いてみて!とまでは言わないが、買って「だまされた」とまでは思わないCDだと思う(はまる人にははまる!)。
 演奏はブリュッセル王立音楽院フルート四重奏団他。1997録音。

 今朝を私は、鹿児島市で迎えた。
 昨夜の19時前に市内に着いてひと仕事し、今日も午前中にひと仕事第2弾をこなし、昼には空港に向かう。
 だからね、あなたにはわくわくするようなお話は何にもできないかもしれないの。
 でも、お願い!
 あしたまで待って!