ff1769b8.jpg  で、いったい「カラマーゾフの兄弟」って、どういう物語なのか?

 安直に光文社古典新訳文庫の第1巻が発刊されたときのリーフレットの文をそのまま転載すると、

 「なぜ、こんな男が生きているのだ?」父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色きわまりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3兄弟が家に戻り、その父親とともに、妖艶な美女をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは長老ゾジマに救いを求めるが……。

 ってものだ。
 おわかりいただけたでしょうか?

 とても面白い小説だ。
 ボリュームがボリュームだけに、すぐに再読しましょって気にはならないが、さすが名作と言われるだけあって、ボワーッとした感動の塊のようなものが心に残る。読んでいるときには、なんでこんなに大げさなんだ、とか、こんな気違いじみたことありえない、ロシアって変、なんて少々疑問を抱きながら読み進むのだが、いろいろな示唆に富んでいる内容なのだ。

 亀山郁夫が訳したこの光文社古典新訳文庫の「カラマーゾフの兄弟」は、一つのブームになった。話題になった。本がどのくらい売れたのかは知らないが、日本に「カラマーゾフ」ブームを起こしたことは間違いない。

 そして、亀山訳の誤訳騒動が持ち上がった。
 私はその詳しい内容は知らないが、誤訳ってくらいだから、訳に間違いがあると言うものだろう。
 でも、こういう指摘が出てくること自体、ブームになったという証拠に他ならない。
 売れなかったら、そんなことに文句をつけてくる人はいないだろうから。
 必ずあるね、こういう有名税的なものって。

9ccf84be.jpg  私の乏しい想像力では、「カラマーゾフ」に出てくる人物たちの姿って、“ロシア5人組”の、それもムソルグスキーなんかの肖像画(上の写真。音楽之友社「新訂 大音楽家の肖像と生涯」から転載)みたいな風貌なのかなぁと思ってしまう(昨日取り上げたボロディンも“ロシア5人組”のメンバーだが、彼は“きたならしくない”インテリである)。

 今日は“ロシア5人組”に先立つ作曲家、グリンカを(肖像画:同)。

 グリンカ(Mikhail Ivanovich Glinka 1804-57 ロシア)は“ロシア5人組”の作曲家ではない。“5人組”の誕生の種まきをした人物だ。
 そのあたりは次回に詳しく書くとして、今日はそのグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ(Rouslan and Ludmila)」の序曲を。

 歌劇「ルスランとリュドミラ」(1838-42。1842初演)は、プーシキンの詩をもとに作曲者たちが台本を書いた中世を題材にしたおとぎ話で、リュドミラをめぐる3人の騎士の苦心談のなかに、悪魔、魔法使いなどが登場するもの。
 この序曲は、おそらく現在グリンカの作品としては最も聴かれているもので、快活でカッコイイ音楽である。
 で、グリンカの肖像画も私的には“カラマーゾフ的”なのだ。

6f138562.jpg  ここでは、ショルティ指揮ロンドン交響楽団による演奏を。
 ショルティの演奏はロシア的とは言えないが、こういう爆走音楽にはもってこいの指揮者だ。
 そうそう。何も考えずに、この音の洪水に身を委ねるべし!

 写真を載せた国内盤は現在廃盤。

 「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです ― 村上春樹インタビュ-集1997-2009」(文藝春秋社)の中に、村上春樹の次のような言葉がある。

 僕は、自分の小説の最終的な目標を、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』においています。そこには、小説が持つすべての要素が詰め込まれています。そしてそれは、ひとつの統一された見事な宇宙を形成しています。僕はそのようなかたちをとった、現代における「総合小説」のようなものを書きたいと考えています。それはずいぶん難しいことかもしれないけれど。 (p.180)

 ドストエフスキー偉大なり、である。