痩せぎすで背の高い神父が、伏し目がちになって聖書を読んでいる。堂内に低く流れている音楽は、バッハのマタイ受難曲だ。生前、布美子が好きだった曲のひとつで、彼女の葬儀にマタイ受難曲を流してやるよう遺族に指示したのは、鳥飼三津彦だった。
小池真理子の「恋」の最初のページ、仙台市にあるカトリック教会で、矢野布美子の葬儀がとり行われている場面である。
「恋」は平成7年に単行本として刊行された。そして、平成8年、第11回の直木賞を受賞した。
“文庫版あとがきに代えて”で、著者は次のように書いている。
作家は、苦楽の長い坂を人知れず登り下りしながら、きわめて不思議な、どう考えても説明のつかない、神が己れの中に降り立ってきたとしか考えられないような瞬間を迎えることがあ るのかもしれない。そんな馬鹿なことを信じるようになったのも、本書『恋』を書き上げてからであった。 このころ小池真理子は「書けなかった」という。無力感に襲われていた。
そんなときに“降り立った”のだ。
1994年12月の、風の強い寒い晩だった。何という理由もなく、私は寝室のベッドに仰向けになり、CDでバッハの『マタイ受難曲』を聴いていた。なぜ、その曲を選んだのかよく覚えていない。受難、という言葉に自分自身を重ね合わせたつもりだったのかもしれない。
その時である。何がきっかけだったのかわからない。それは突然襲いかかってきた嵐のように私の脳髄を突き抜けていった。ほぼ一瞬にして、あたかもドミノゲームのごとく、パタパタパタッと、見事なまでに完璧に物語の構想、テーマ、登場人物の造形が頭の中でまとまった。
私も先日、頭の中にマタイ受難曲のメロディーが悲しげに鳴り渡った事件があった。だが、それは「恋」の著者のように〈暗闇が薄れ、光が見えてきた〉のではない。
私はひどく心が動揺し、いま、ようやく落ち着きを取り戻し、その出来事をここに書けるような気持ちになれた。
11月29日。月曜日。先負。
この日の朝は前夜から降り続いた雪で、一面が白くなっていた。
この冬初めての本格的な積雪だった。
月曜日の朝からこんなんではやれやれである。でも、誠実で勤勉な“給与取り”である私は、重い気持ちで、慎重な歩みで家を出た。今日は時間がかかるかもしれないと、いつもより4分早く家を出た。すばらしい心がけだ。
悲劇が起こったのは駅舎に入る階段まであと1歩。本当にあと1歩のところだった。思いっきり転んだのだ。
今季最初の積雪で、早くも私は転んでしまったのだ。スキーを滑る前に。リフトに座りそこねて早くも尻もちをついてしまったようなものだ。
道産子としてこんなに恥ずかしいことがあろうか!
その時私は耳にイヤホン(インナーイヤー・ヘッドホン)を入れていた。
そのとき流れていたのはモーツァルトの第20番のピアノ・コンチェルトの第2楽章だった。
転んだ瞬間、「うっっ!」という声なき叫びが、甘美なメロディを打ち破って耳の中に響いた。声を出さないように我慢しても、心の叫びって、いや、喉元で抑え込んだ叫びって、このように共鳴するんだってことを知った。
そのあと頭に響き渡ったのが悲しきパッションだったのだ。
そんなわけで、恥ずかしさと情けなさとでこの数日落ち込んでいた私である。
足が絡まーぞふだったわけではない(あぁ、くだらねぇダジャレ……)。バナナの皮を踏んだサザエさんのように、純粋に圧雪で滑って転んでしまったのだ。
ああいうときって、すごく人目が気になる。
まったく無視されるのもさびしいけど、変に声をかけられると恥ずかしさが“コープさっぽろ本日7倍ポイント・デー”って感じになる。今回は完璧に孤独だった。それが良かったかどうか、私にはわからない。
バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「マタイ受難曲(Matthauaspassion)」 BWV.244(1728-29/最終稿'36)。
台本は「マタイによる福音書」の第26~27章およびC.ピカンダーによる。また音楽は、「クラシック音楽作品名辞典」によると、ハスラー(Hans Leo Hassler 1564-1612 ドイツ)の受難のコラール「血潮したたる主の御頭(O Haupt voll Blut und Wunden)」を中心主題とする。
「マタイ受難曲」はバッハの全作品のなかでも最高峰に位置付けられる。
2部78曲から成る「マタイ受難曲」は2時間半以上に及ぶ作品で(演奏によってはもっと長い)、抜粋盤として前にリヒター盤を取り上げたことがあるが、今日は全曲盤を。
ヘレヴェッヘの指揮による演奏。ヘレヴェッヘ盤の演奏時間は、CD1が65分、CD2が51分、CD3が42分である。
1998録音。ハルモニア・ムンディ。
なお、磯山雅氏は「J・S・バッハ」(講談社現代新書)のなかで、以下のように書いている。
この受難曲の中に聴きどころを探すなどは愚かなことだが、本当にすばらしいのはやはり、〈われら涙流しつつひざまずき〉の最終合唱ではないだろうか。内部のアリアやコラールを1~2曲省略することは、考えられなくものない。だが、この大河のような流れにすべてを包み込む終曲のない〈マタイ〉は、絶対に考えられないからである。
また、同書の中では、「《マタイ受難曲》の音楽の一部は、ケーテン侯レーオポルトのための葬送音楽BWV.244aに転用されている」と書かれている。
ところで、「マタイ受難曲」の1729年の初演から100年目となった1829年に、メンデルスゾーン(彼は指揮者としても活躍していた)がこの曲の復活演奏を行ない、それがきっかけとなってバッハの作品の再評価へとつながったという話は有名だ。
しかし、H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯 (上)」(共同通信社)の中で、次のように書いている。
多くの音楽史家は、バッハが死後忘れ去られ、メンデルスゾーンが1829年に「マタイ受難曲」を再上演して初めて、再発見されたと述べているが、これは作り話である。バッハは、少しも忘れられていなかったのである。彼は実に大きな影を残していた。おそらくヘンデルや、現代では忘れられた人気オペラの作曲家ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699-1783)ほどではなかったかもしれないが、それでも大きかった。彼が「完全に無視されていた」という作り話は、このへんで終りにするべきである。
「マタイ受難曲」といえば、村上春樹の「1Q84」にも出てくる。
“ふかえり”が“そら”で、第1部第6曲のアリアの詩を語る場面がある。
「恋」に話を戻すと、ストーリーは、
1972年冬。全国を震撼させた浅間山荘事件の蔭で、一人の女が引き起こした発砲事件。当時学生だった布美子は、大学助教授・片瀬と妻の雛子との奔放な結びつきに惹かれ、倒錯した関係に陥っていく。が、一人の青年の出現によって生じた軋みが三人の微妙な均衡に悲劇をもたらした……
というものである。
ありえないような、とはいえ、まったく非現実的とも言い切れない妖しげな夫婦の関係や、そこに引き込まれる布美子を支配する官能的空気。そして、実際にあった浅間山荘事件が書かれていることによるリアル感。
唸らせる小説だ。
そして切ない読後感……
私はこの小説を読んだ後、すぐに“あさま山荘事件”に関する本も読んだ。
子供の頃、TVで観たあの事件を、きちんと知っておこうと思ったのだ。 佐々淳行の「連合赤軍「あさま山荘」事件―実戦「危機管理」」(文春文庫)。
あの現場での出来事を克明に記録したものだ。
有名な話だが、現場にはあの人もいた。
……そこへ態度が大きくて年次不詳の警察庁警備局公安第一課課長補佐、亀井静香警視が加わったからまた波乱が起きた。
亀井警視は群馬県に派遣されて迦葉(かしょう)山の山岳アジトの検証や杉崎、森、永田ら妙義山組の取調べ立会などをやっているところへ「あさま山荘事件」が起きた。
血の気の多い亀井警視がおとなしくしているわけがない。警備局長に軽井沢派遣を申請したが、慎重な局長は亀井警視の過激な言動を心配してなかなか首を縦にふらない。
そして亀井警視から直接私に陳情があったので、私は冨田警備局長に電話して「あさま山荘のような現場こそ亀井君にもってこいの現場です。私が十分指導しますから是非よこして下さい」と要請した。
―(中略)―亀井課長補佐を迎えて、連合赤軍の公安事件としての捜査は、にわかに活気づいた。いうまでもなく、亀井警視とは、後の亀井静香衆議院議員である。名前は「静香」だがちっとも静かではない。なんで親御さんもこんな名前をつけたのだろう。 (p.205)
まったく同感である。
新館入口(2014.6.22~)
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