昨日は“どら猫酔狂堂”のファルケ&アルフレッド(敬称略)の両名と忘年会を催したのだが、そこに特別出演として(間違っても友情出演ではない)アイゼンシュタイン氏(敬称付きサービス実施中。本日限り)が来てしまった。

 ご存知のように、アイゼンシュタイン氏は先月末にあらゆる責任(机の中を片付ける、給湯室からこそっと家に持ち帰ったコーヒーの豆を買って返す、など)を放棄して会社を辞めた。あれから20日以上経つが、未だに「その節はお世話になりました」というはがきの1枚も来ないところが不思議である。いや、これからも世話になるつもりでいるために、ここで区切りをつけるもんかという意地なのかもしれない。

 でも、もし、私だけにはがきが来ていないとしたら、私は氏に不幸の手紙を送りつけてやる覚悟がある。

 さて、人の良い私は3月の札響定期演奏会へアイゼンシュタイン氏をお誘いした。
 出し物はマーラーの交響曲第7番である。指揮は高関健。
 この演奏会に対し、氏がどのような感度でいるかははっきりしないが、少なくとも表面上は真摯な姿勢は見受けられなかった。

 そのマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調(1904-05。通称「夜の歌」)だが、最近知ったテンシュテット指揮ロンドン・フィルの演奏(1980録音。EMI)にすっかりはまっている。

f0799dec.jpg  「なんだよ、またまた、これはすばらしいっ!って話かよ」って思われる方もいるだろうが、そのとおりだ。まただ、又だ、股だ!人類よ、マタを大切にしよう!

 まず、最初のテノール・ホルンの音からして独特。ほかのCDでは耳にしたことがないような不気味さをはらんだ音色。この楽器、ちょっとお軽い音の印象があったのだが、こんなに重く威圧的なんだと新発見。挑戦的ですらある。

 私にとってのこの曲のスタンダードはショルティ/シカゴ響の演奏。
 だが、ショルティがハチのムサシが一直線に太陽に向かっていくかのように音楽を進めていくのに対し(あくまでも想像上の表現である)、テンシュテットはあちらの花へこちらの花へとあちこちの花をじっくりとめぐり回るくまんばち、に姿を変えた悪魔のような演奏だ(あくまでも貧困な発想に由来するイメージ表現である)。

 ショルティの演奏が平板だなどと言う気は毛頭ないが(だってこの演奏、私好きなんです)、テンシュテットのこの演奏は3Dのディズニーの絵はがきのような立体感(プーさんの体の一部だけがねじ曲がって浮き出してくるような怪しげな立体感)がある。
 また、これは録音の影響だろうが、オケの距離感も自然。長年連れ添ったショルティ様からテン様に心が移りつつある私。

  来年はマーラーの没後100年の年。
 でも、札響がマーラーを取り上げるのは3月定期の7番のみ。
 ちょいと寂しい。
 故人に対して失礼だ(?)。

 ところで、アイゼンシュタイン氏乱入の忘年会。スーツ姿の参加者の中でただ1人ユニクロのシャツを着ていた氏は、幼児が見ても浮き浮きだったのは明らかだ。
 そして、その後2人で行った2次会で、私は“うずら”(敬称略)と顔を合わせることになった……。その話は……