562224f2.jpg  大晦日の今日、夜の10:00開演でKitaraにおいて“ジルベスターコンサート”が開かれる。シルベスター・スタローンじゃなくて、ジルベスターコンサートである(似てないようで似てません?)。

 終演予定時刻は1月1日の0:15。

 こりゃあ聴きに行く人もたいへんだ。
 地下鉄やJRは特別ダイヤで初詣運転しているだろうけど、それでも東京のようにはいかない。帰りが大変だ。

 このコンサート、ソリストは地元札幌の高校3年生のサックス・プレーヤー寺久保エレナ、ソプラノに田村麻子、ピアノが清水和音。指揮は現田茂夫。オーケストラは札幌交響楽団。

 いやはや、札響も大変だ。大晦日まで演奏だなんて(そして奏者以外の関係者の方々も)。

 ところでこのコンサート、チラシの下に「北海道の条例により午後11時以降は18歳未満の方は入場できません」とある。で、寺久保エレナは大丈夫なわけ?もう18歳になってるのかしらん。高校3年生だから、まだ誕生日を迎えていない早生まれなら×だということになるな。

 それとも、お客さんであろうと、18歳未満でも11時前に入場してしまえばあとは0時を過ぎようが構わないって意味なんだろうか?
 はいはい、暮れにまでそんなこと考えなくてもいいですね。早く掃除に取りかかりますです。

 チラシには演目があまり詳しく書かれていないが、これを見る限りではヨハン・シュトラウスの曲は入っていない。
 うん。なぜニュー・イヤーにヨハン・シュトラウスなのかいつも疑問に思っている私にとっては、ちょっぴり満足、マンゾク。

 えっ、私?
 いえいえ、私は行きません。このコンサート。ありがたいことに、招待券を下さった方がいるんですが、申し訳ありません。
 私、起きてられないし、帰ってくるのが大変なんです。Kitaraのある場所から地下鉄1本で帰って来れない地に住んでいるものですから。
 
 師走といえば気ぜわしいはずなのだが、今年は全然そんな感じがしなかった。特に最後の10日間くらいはかえってまぁ~ったりとした、無気力感覚。アダージョっぽい。雪が異例なほど積もっていなかったので、視覚的にも12月って感じが希薄になったのかもしれない。

 そういえば、アダージョ音楽ばかり集めたCDがブームになっていたのは何年前のことだったろう?いや、もう10年以上前のことか?「カラヤン/アダージョ」なんていうのが随分と売れ、さらに二番煎じで似たようなCDがたくさんリリースされたようだが、変だよな、この国。

 Adagioっていうのは「遅く」って意味だから、「アダージョ/カラヤン」を日本版にすると、例えば「遅く/尾高」(高関でも小澤でも秋山でもいい)ってことになる。
 そもそも、クラシック音楽を苦手をする人って、遅い曲が耐えられないという傾向が強いと思う。退屈だ。眠くなる。足がしびれる。血流が悪くなる、etc.etc……

 それなのに、その憎むべきスロー・テンポの曲ばかりを集めてしまったのだ。我慢強さを試すかのような選曲。癒しを通り越すんじゃないのかなぁ。
 そりゃ、美しい曲、すばらしい曲も多々あるだろうけど、企画した人は悪意的にすごいなあと思う。

 そんなことを書きながらも、1年を締めくくるにあたり、私が聴いたのはマーラーの「アダージョ」。
 いいねえ、時節を考えないこの天邪鬼(あまのじゃく)な感じが。おおっぴらに世の中に反抗する勇気はないが、人知れずこっそりと反抗し、自己満足に浸ってるてわけ。

 この曲はマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の未完の交響曲、第10番嬰へ短調・嬰ヘ長調(1909-10)の第1楽章で、この楽章だけがほぼ完成に近い形で楽譜が残されていた(他の楽章は大まかなスケッチ)。

 彼の交響曲第9番で現れはじめていた、“交響曲”という偉大なる音楽の形式の崩壊が、この「アダージョ」ではさらに明確になってきている。もう分裂症気味。
 マーラーは交響曲というものを葬ろうとしているのだ。

5c3153c2.jpg  この曲、私にはそれまでのマーラーの交響曲(第1~9番、「大地の歌」)に対し、マーラーの作品っぽくない印象があった(それは今も完全には払しょくされてはいないが)。
 でも、ちゃんと聴いていると、第9交響曲終楽章の続きのような匂いを醸し出しながら、ここには第5交響曲第2楽章や第6交響曲第1楽章、などのフレーズが見え隠れしている。

 マーラーがこの曲を最後の作品になると本当に意識していたかどうかはわからないが、この作品を1つの節目として(第9のジンクスに勝って死の危険は過ぎ去ったのだ)過去の自作品の“宝石”をちりばめたように思える。

 だがその宝石たちの輝きは自虐的ともいえるようなものだ。このとき関係が危機的状況にあった妻アルマとの、かつての平和だった日々の回想であるのかもしれない。

 今日はテンシュテット指揮によるロンドン・フィルの演奏(1978録音。EMI)。
 テンシュテットの指揮は情に溺れることなく音楽を進めていくが、それが逆にこの曲の切なさを自然な形で強調している。そして、1音1音をものすごく大切にしているような演奏だ。

 なんだかこの先がよくわからない世の中、こういう曲がますます人気を博すような気がする。

 あのころは良かった……と。

 さて、今年も今日で終わり(だって大晦日だもん)。
 この1年、このブログを読んで下さってくれた皆さんに、心からお礼も椅子あげます。いや、お礼申し上げます。

 ということで、みなさん、よい年をお迎えください。
 また来年、画面上で会いましょう! ← 十中八九明日です。