おととしのPMF。
この年のKitaraでの最終公演となったPMFオーケストラ演奏会。この時のマーラーの交響曲第5番の演奏は圧巻だった。指揮はM.T.トーマス。
この曲はトランペットのソロによる葬送行進曲で始まるが(気を緩めていると、この出だし部分、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」の始まり始まりぃ~と錯覚してしまう)、そのトランペットも巧かったし、第3楽章のオブリガート・ホルンも見事だった。
曲が終わるか終らないかのうちに、会場内は感動の叫び声がサッカー場のように沸き起こったが、その盛り上がり方も外国風(外国と言っても中南米ではなく欧米)。
つまりは関係者(指導者や参加していた学生)がけっこう聴きに来ていたわけで、この体育会系的な音楽を好演した仲間たち、教え子たちを称えようという文科系サークル的な空気で、とにかく熱気ムンムンになったのだった。
私も感動した。
感動というよりは興奮か……
でも、その興奮、余韻、自分でも不思議なくらいスゥーっと数日で引いてしまった。
PMFよりもずっとずっと前の話。
札響が初めてマーラーの第5交響曲を演奏したのは1987年6月18日のこと。第282回定期においてであった。指揮はデヴィット・シャローン。彼は2000年9月、都響への客演のために来日中、気管支喘息のために若くして急逝してしまった。1950年10月生まれだったから50歳まであと1ヵ月だったということか……惜しい人をなくした。
このときも、最後の音が鳴りやむか止まないかのうちに地底から湧き上がるように拍手と、ブラボーともブラジャーとも聞こえる叫び声が上がったが、あれは「札響よ、よくぞここまでやってくれた」という、演奏を讃える以上のファンの感謝の気持ちが爆発していた。
私も動悸・息切れ寸前状態になった。
こういうまるで示し合わせたかのような、会場全体が一体となった拍手の自然発生的フライングは、私は嫌ではない。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02。ただしその後もたびたびオーケストレーションを変更)は、確かに聴いていて盛り上がらずにはいられない曲である。
この曲が作曲されたころ、1901年11月にマーラーはアルマと出会っている。翌'02年3月には早くも結婚した。
第5番はマーラーの交響曲の中でも人気が高く、コンサートで取り上げられる機会も多い。
それは非常に聴き映えがするから。暗から明へという前向きな流れは、“愛の喜び”が反映してるせいのかしらん?(そう単純な作りではないそうだけど)
おまけに弦楽のみで演奏される第4楽章「アダージェット」が、その昔映画「ヴェニスに死す」に使われたのも人気がある理由である。
でも、なぜ、ライヴの興奮が数日ですぅーっと引いてしまうのだろう。
私のせいか?
いや、この曲そのものに原因がありそうだ。
なぜこの曲が頻繁に演奏されるのか、理解に苦しむ。技術的にきわめて高度なくせに、短何ルドンチャン騒ぎの盛り上がり以上の成果を出すのが難しい。珍しくここではマーラーはあまり言うべきことを持っていないのではないかという印象すら受ける。彼の他の交響曲に比べて、書かずにはおれないという衝動の強さを感じられないのだ。
と書いているのは許光俊。「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)のなかでだ。
一方、この本のもう1人の著者(許の対決者)である鈴木淳史は、
この作品があったからこそ、第6番や第7番という傑作が生まれ、そして第9番につながったのだ。ただ、この第5番はまだまだ実験段階の作品だ。第3番で急激に高みに達したマーラーが、次の段階に向けてアウトラインを描いているだけにも見える。第2番のように単刀直入なメッセージで客寄せすることもなければ、第6番のようにパロディとして完成しているわけでもない。屋台骨組みだけのスタイリッシュな作品だと思う。作曲者のうめきを無理にほじくり出そうとする演奏はすべて失敗しているように。
と書いている。
ねっ?決して私が冷めやすいタイプだというわけじゃないのだ。
ここで許氏が推しているのは、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏(1973録音)。鈴木氏が推しているのはショルティ/シカゴ響(1970録音)。
カラヤンがお好きでない私は、カラヤンが振るマーラーを耳にしたことがない(たぶん)。これからも聴くことはないと思う(変なところで頑固なのだ)。
一方、ショルティ盤は、LP時代からの私の愛聴盤である。
では、ラトルの演奏(オーケストラはベルリン・フィル)はどんなんかいな?
とても整った美しい演奏である。でも、インバル盤のような物足りなさは感じない。
変な言い方だがこの交響曲が“音楽”としてきちんと鳴っている。
へぇ、この曲ってイケイケ・ゴーゴーなだけじゃなく、こんなに美しい音楽だったんだと……
各パートがよく聴こえてくるが、終楽章の弦の対話というか絡みは妖艶ですらある。CDパッケージのラトルの舌をついつい思い出してしまうほどだ。
この演奏、じっくりとメロディーを味わうには最適な感じ。
すばらしい……
でもショルティの、マッスルマンに全身を乱暴に攻められているような演奏に、もはや抵抗するどころか悦んで「もっといじめてぇ~」と、慣らされてマゾのようになってしまった私には、「あなたは上手。とっても上手よ。でも、こんなになってしまった私には上品すぎるの。大太鼓が歪んでようと、音響バランスが変なところがあっても、そんな怪しい誘惑に満ちている強引な彼の棒が忘れられないの」って気分になる。
あるいは、ドゥダメルのように、「おゃ、こんな演奏の仕方があるのか」という、初体験の喜びのようなものにもやや欠ける。
いや、ラトルの演奏はすばらしいのだ。
調教されてしまった私が悪いのね……
マーラーの5番は、PMFや札響第282回定期以外でも何回か生で聴いているが、この2回以外はあんまり感動も興奮もしなかった。
ポピュラーな曲のくせに、聴き映えするように演奏するのが難しい曲のようだ。
ただ鳴ればいいってもんじゃないのだ。
ラトルのCDは2002録音。EMI。
新館入口(2014.6.22~)
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