ceaf55e0.jpg  1991年3月、札幌交響楽団と仙台フィルハーモニー管弦楽団のジョイントコンサートが北海道厚生年金会館で行なわれた(指揮は田中良和)。

 北海道厚生年金会館は現在、“ニトリ文化ホール”だかという愛称がついている。
 なんとなく、やれやれって感じである。

 それはどうでもいいことだが(でも、やれやれって感じである)、これは“ホーム企画センター”というハウスメーカーの、“20周年記念”という冠コンサートでもあった。

 出し物はマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂'06。その後もたびたび変更を加えている)。

 20周年記念コンサートなのに「悲劇的」(このタイトルは通称だけど)というのも、縁起が悪そうな感じがするが、スポンサーといえども曲目にまでは口出しできなかったのだろう。

 私が第6交響曲を生で聴くのはこのときが初めて(というか、今のところこれが唯一の経験)で、それまで“ホーム企画センター”なんて会社は知らなかったが、こんなすばらしい機会を作ってくれた会社なんだから、将来自分がマイホームを建てるときにはこの会社を最有力候補にしようと、けっこう真剣に思った。

 それから数年後。
 私も家を建てることに決め、市内・近郊の分譲地を見て回ったが、あるとき下の息子が「おしっこしたい」と車の中で唐突に言いだしたことがあった。
 そのときにいたのは分譲が開始され始めたばかりのところで、ほとんど家も立っておらず、「そのへんの空き地でしてこい」ということも全然平気だったが、偶然にもすぐそばに“ホーム企画センター”の現地案内所があり、そこでトイレを借りることにした。

 当然のことながら、「土地をお探しですか?」、「ええ、まあ」、「まあ、お茶でも……。ウチはこのあたりたくさんの土地を持っているんです。モデルハウスを見ていきませんか?」、「そうですね」という話になり、ジョイントコンサートの時に抱いた私のこの会社に対する敬意が、実現化に向けて急速に動き出したのであった。

 モデルハウスっていうのは、たいていが「これはいいっ!」て思うように作られており、私もこれはいいって思ったが、3軒見たすべてが、押し入れを開けると半分が階段によってデッドスペースになっていることが唯一気に入らなかった。

 しかし、ざっと計算してもらっても価格も大手ハウスメーカーよりも安い。
 で、候補地を決め、モデルハウスと同じものを建てた場合にどうなるか、ざっと見積もりを出してもらうことにした。
 
 数日後。
 見積もりを見ると、現地でざっと計算してもらったものよりもけっこう跳ね上がっている。
 「あのとき言っていた価格よりも300万もアップしてますが?」
 「いえ、そんな額、私言ってませんよ」
 「でも妻も私と同じ額を聞いていますし、上の子は覚えてないでしょうが耳にしていますし、下の子はおしっこをしました」
 「そんな価格では建てられないですよ」

 プチっ!

 どうも信用できないと思い、ここのメーカーは結局やめることにした。
 会社が悪いんじゃなくて、その営業マンの資質なのかもしれないが、でもそこの営業所長って名刺にかいてあったからなぁ……

 これが私の悲劇……ってほどでもないか。

d453f704.jpg  さて、サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団を振った、マーラーの交響曲第6番。

 この演奏については、私がブックマークしているライムンドさんのブログで先日詳しく紹介されていたので、ぜひ読んでいただきたいと思う。

 ……で終わってしまったら、スカスカのおせち料理と一緒じゃないかとクレームが来そうなので、ちょいと書く。

 ラトルの演奏は、他のマーラーの演奏同様、オーケストラの響きが透明で美しく、またしばしば「おぉっ!びっくり」という過度とも言える誇張もある(つまりデフォルメね)。

 落ちついた歩みで始まるが、ブラック・アイスバーンだからアクセルを踏み込み過ぎないようにしましょうみたいな進み方は全曲を通じてであり、まるで不幸せのなかにどっぷりと浸かっていたいかのようでもある(実タイムはひどく遅いわけではない)。

 第1楽章では「アルマのテーマ」があっさりと奏されるのが面白い。また11分50秒あたりの、右奥でなってるトランペットのピーララピーララという音(第10交響曲の第1楽章でも登場する音型)がなんとなく快感。

 第2楽章としてはアンダンテ楽章が演奏される。多くの場合は第2楽章でスケルツォが演奏されるが、ラトルは先にアンダンテを持ってきた。聴く側にとって、これは慣れの問題。私としては第2楽章=スケルツォ楽章で慣れ切ってしまっているのだが、ラトルの演奏を聴いていてもさほど違和感はない。

 第3楽章(スケルツォ)では、終わり近くの盛り上がりでの、“うぅぅぅぅぅ~ばぁぁぁぁん”というデフォルメが面白い(どこを指しているのかちっともわかってもらえないだろうけど)。

 終楽章も過度に感情的にならずに進んでいく。

 第6交響曲においても、ラトルの演奏はじつにすばらしい。整っている。
 とはいえ、私が知っているこの曲の数あるCDのなかで、聴く頻度が高いものになるかというと、おそらくそうならないと思う。(恐らくは純音楽としてのアプローチの仕方に)何か物足りなさを感じてしまう。
 なんせ私にはこの曲に対する個人的な思い出がたくさん詰まっているもので……