マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第8番変ホ長調(1906)、通称「千人の交響曲(Symphonie der Tausend)」は、私にとって彼の交響曲中最も愛着が深くない作品である。

 しかしながら、いつまでもそんなことではいけない。
 もう私も若くないのだ。
 ここいらあたりでこの曲に飛び込んで行ってみようと思い立ち、先日の出張ではスコアを携え、それに優しく指で触れ(ページをめくるのに)、眺め(匂いを嗅ぐことに意味を感じない)、頭のなかで何とかメロディーと図案(楽譜のこと)が一致するように努力し、そこそこまでとは言えないがかなりお近づきになれた。

 あんまり好きではないと思っていたわりに、意外とメロディーが頭に入っていることに、私自身驚いた。あったりまえか。なんだかんだ言って、もう自分の人生の半分以上の長きにわたって、ときどきではあるが聴いてきたのだから。

 でも、こうやって積極的に取り組むと、この曲のすごさ――マーラーが自身のそれまでの交響曲の集大成と見なしたことが正しいかどうかはわからないが――が、確かに伝わってくる。

 第1部は、まあよくこんな絡まってダマになってしまってほぐすのが大変なネックレスのチェーンみたいな複雑な曲を書いたもんだと、畏敬の念を抱かずにはいられなくなる。
 第2部は、なんてドラマティックな音楽なんだろうと思う。

 この曲の深みにまだまだはまってみようと思う。
 いえ、勝手に自分独りやりますからお気遣いなく。放置しておいてください。

9efa0dc9.jpg  出張の際、私はうかつにもウォークマンにこの曲を取り込んで行かなかったわけだが、今はラトル指揮バーミンガム市響ほかによる演奏(2004録音。EMI)を聴きこんでいる。

 他のマーラーの交響曲同様、私は多感な青年期に、第8番についてもショルティが指揮する演奏を聴いてきた。とにかくド迫力の演奏だ。第1部の終わりなんかはその大音響で音が歪んでしまっているくらいすごいのだ。これまた、演奏とは別な意味でちょっぴり感動ものだった。

 今回ラトル盤を聴いて最初に感じたのは、「迫力ないなぁ」ということ。
 しかしこれは、事実上、ショルティ盤しか知らなかったため。見合結婚した乙女のように、世間知らずってものだったのだ(私の訴えたい主旨がわかっていただけるだろうか?)。
 千人もいるんだからと、迫力を期待するばかりではいけない。その点、ラトルの見事なバランス感覚にすっかりはまってしまった。

 第2部にしても、私にとっては退屈な音楽だったものが、いまや感動的な絵巻として聴こえてくる(マンドリンがこんなに効果的に響いているとは!)。美しく繊細なアプローチだ(注:建物に通じる道のことに非ず)。

 唯一の不満は、第1部の終わりに加わる金管のバンダ(別働隊)の音が迫力不足なことか……