“作曲の日付からすれば、ニ短調交響曲は、シューマンの2番めの交響曲である。4個の曲は、《交響的幻想曲》と題して、1841年12月6日に、ライプツィヒで初演された。しかし、1853年にオーケストレーションし直されたため、この新版が《第4交響曲》とよばれたのである。新版は、この年デュッセルドルフで、低地ライン音楽祭のおりに初演された”

 この文は、シューマン交響曲第4番ニ短調Op.120(1841/改訂'51)のフィルハーモニア版スコアの“はしがき”である(この“はしがき”1853年改訂・初演と書かれているが、井上和男編の「クラシック音楽作品名辞典」では1851年改訂、'52年初演とされている)。

394cb218.jpg  金子建志編の「オーケストラ こだわりの聴き方」によると、1841年のこの曲の初演では聴衆の反応は鈍く、ワーグナーは「退屈な作品」と批判した(この項の執筆は道下京子氏による)。
 そこでシューマンは、本来は交響曲第2番となるはずだったこの曲を引っ込め、のちに改訂して第4番として発表することとなった。

 先日購入したマズア指揮ロンドン・フィルのCD(シューマンの第1番とのカップリング)では、1841年にライプツィヒで初演された版=ライプツィヒ稿による演奏でこの曲を聴くことができる。

 私は初めて耳にしたが、まず最初の1音で、「おやっ、これってシューマンの交響曲第1番とベートーヴェンの交響曲第7番とのカップリングだったっけ?」と思った。それほど最初の音はベト7の出だしにそっくり。つまり、いま聴かれる1851年改訂版のような重さがない。

05608f1f.jpg  それでこの驚きを今度、床屋で話題にしようと思うなどとホラを吹いてしまったのだが、そもそもクラシックな床屋なんて私の知る限りは知らないし、同時にそれは椅子も器具もはさみを持ったおっさん(つまり店主)も、みんな老朽化しているという意味以外に考えられない。

 そうじゃないとしても、クラシック音楽喫茶じゃあるまいし、クラシック音楽ファンが集う床屋なんて、みんなベートーヴェン・カットかシベリウス・ヘッドにされそうで、ごく一部のマニアしか通わないだろう。それに、客の回転が悪くてたまらんだろうな。刈り終っても居座るみたいに。
 でも、床屋ゆえに、いつもバーバーの作品なんかが流れていたりしてると(たとえば悲しみに満ちた「弦楽のためのアダージョ」とか)、けっこう粋なんだけどな(どこが?)。

 1841年初稿は、改訂稿に比べると響きが軽く、メロディーラインもはっきりしている。
 特に第1楽章と第4楽章は改訂版とかなり異なる。

 1841年といえば、交響曲第1番「春」が作曲された年であり、それに通じる幸福感もある。しかし、改訂版になってしまうと、かなり重い病的様相を示す。それは「シューマンは精神病院に入ったほどの人物であるから、その音楽には、詩的で文学的な魅力のある反面、どこか妄想的なところ、支離滅裂なところ、神経質なところがあるのも否めない」と福島章恭氏が書いているとおりである(「クラシックCDの名盤」:文春新書)。

 だが、ライプツィヒ稿ではその異様さは希薄なのだ。
 この作品の作曲の前年、シューマンはクララと結婚している。すでに病気の兆候があったとしても、まだまだ健康で幸せだったわけで、音楽も健康的だ。

 しかし、1842年から翌年にかけては何度もめまいの症状や神経衰弱症が起こった。
 '45年には「暗闇の悪魔が私を支配している」と言った。
 '46年、聴覚障害が現われる。
 '49年、一時的に体調が良くなるが……

 といった具合で、改訂版が書きあげられた1851年と、初稿が書かれた'41年とではまったく精神状態が異なっているのである。

 ある意味、それが見事に2つの版の違いに表れているとも言える。

 なお、ブラームスは初稿の方こそシューマンの持ち味が表れていると考えて出版しようとしたが、クララに猛反対され2人は険悪化、一時は絶好状態になったという。

 そういえば、昔、クララってあったな。
 細いガラス管に入った、いかにもまずそうな薬。
 ♪ 痰がからんだらぁ、ク・ラ・ラ!って歌のCMが、“笑点”のときに流れていた。
 よかった、当時は子供で痰に悩まされることがなくて……

 参考)五島雄一郎「死因を辿る 大作曲家たちの精神病理カルテ」(講談社+α文庫)