908cf823.jpg  みなさんは、以下の童謡をご存じだろうか?

 ナイショ ナイショ
 ナイショノ話ハ アノネノネ
 ニコニコ ニッコリ ネ、母チャン
 オ耳ヘ コッソリ アノネノネ
 坊ヤノオネガイ キイテヨネ


 この曲のタイトルは「ナイショ話」。
 作詞は結城よしを。作曲は山田保治である。

 作詞の結城よしをは大正9年生まれ。「ナイショ話」は昭和14年、結城19歳のときに作詞され、キングレコードから発売された。結城はその5年後の昭和19年に24歳で戦死している。
 なお、上に載せた歌詞は一番のもので、岩波文庫の「日本童謡集」から転載した(この本には三番の歌詞まで載っている)。

 心温まる懐かしい歌だ。
 ただ、私はこの歌をいったいどこで知ったのだろう?
 まったく記憶にない。
 「おかあさんといっしょ」とかで耳にしたのだろうか?学校で歌った記憶もない。幼稚園は中退しているし……。とても不思議だ。でも、なぜかよく知っている。

 「話」ではないが、ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の弦楽四重奏曲第2番(1928)のタイトルは「ないしょの手紙(Listy duverne)」である。

a32803dd.jpg  ヤナーチャクが老いてから年下の女性に惚れてしまったことについて先日触れたが、まあお盛んというか、これじゃあトルストイの性道徳感に共感しなかったのは無理もない。

 この曲のタイトルとして、当初、「恋文」(もう死語か?)という標題が考えられていたという。

 手紙の相手はカミラ・シュッテスロヴァー(1892-1935)という女性。
 ヤナーチェクがカミラに初めて会ったのは63歳のときだった。彼女は25歳だった。
 彼女に触発されヤナーチェクの創作意欲も高まったのだが、その想いは晩年の10年間で最も強くなる。
 この10年間に書き送った手紙は700通近くにおよぶという。完全なエロ爺だね、まったく。

 弦楽四重奏曲第2番も自分で標題をつけたように、そのラヴレターの内容を音楽化したものだ。ある種の露出狂……

 ヤナーチェクはこう語っているという。

 「1つ1つの音には愛すべき君がいる。君の体の香り、君のキス――いや、君のではなく私のだったね。私の音符のすべてが君のすべてに口づけしている。君を激しく必要としているのだ――」。

 いやいや、やれやれ、にゅるにゅる、にょろにょろ、まんぐぅす……

 作品中ではヴィオラが活躍するが、それはカミラの象徴らしい。

 ところで、2人の関係はどうだったのか?
 結局のところは超エロ爺さんのヤナーチェクの片思いだったようだ。
 カミラはヤナーチェクのアプローチをまともにとりあいはしなかった。まあ、そうだろうな。

 えっ、私?
 私には38歳も年下の女性に恋をするなんてことは考えられない。
 せいぜい年の差は20歳までが限度かな……って、誰がじゃ?
 何ほざいてるんだか、まったく……

 この曲、愛のノロケのような甘ったるいものではない。
 手紙に書きつづった激しい恋心を音楽にしているのだ。愛の台風18号……

 ヤロスラフ・シェダ(って誰かな)に言わせると、「最初から最後の和音に至るまで、今笑わせたかと思うと、こんどは泣かせるといった呪縛のなかにきき手をひき入れたまま離さない」自由奔放な作品なのである。

 CDは弦楽四重奏曲第1番のときにも取り上げたヤナーチェク弦楽四重奏団のものを。
 1963録音、スプラフォン。
 この録音年に生まれた男が、2001年生まれの女性を好きになるってことだからなぁ……
 その一方で24歳で亡くなってしまった作詞家もいるんだけどなぁ。

 うん。私も絶倫になってみたいなぁ。なっても、使い道ないんだけどさ(って、いつの間にか「ヤナーチェク=絶倫」という思い込みに話がなぜか変化してしまっている)。