1f4b6e31.jpg  金曜日の札響定期に、アイゼンシュタイン氏は姿を現さなかった。
 親戚に不幸があったらしい。
 不幸すら寄りつかなそうな人に不幸があるなんて、私にはその事実を素直に受け止めることができない(まったく深い意味はない)。

 今回は久しぶりにアイゼンシュタイン氏に会うことを、実は私、望んでいた。

 会うのを楽しみにしていたのではない。

 返さなければならない本があったのだ。借りている本をいつまでも返さないでいることは(だって、無理やり貸しつけられたのは昨年の11月というはるか昔のことなのだ)、私のポリシーに反する。

 いや、これがアイゼンシュタイン氏のものならばそんなに気に病まない。まったく気にしないといっても過言ではない。その本はうずらさんのものなのだ。
 うずらさんが読んですっごく面白かったという本を、アイゼンシュタイン氏がうずらさんから借りて、アイゼンシュタイン氏もその書かれてある内容がまるで自分のことのように共感しすっごく面白いと感じ、いったんはうずらさんに返したのかもしれないが、なぜかその本がアイゼンシュタイン氏経由で私に貸されたという、書けばしちめんどくさいが、流れとしては行って帰ってまた行ってという直線運動である。

2d35863d.jpg  その本は石原たきび編の「酔って記憶をなくします」というもの(新潮文庫)。
 つまりは酔っ払ってしでかしてしまった体験談を集めたものだ。

 アイゼンシュタイン氏はこの本の話を私にしたときに、かつて幼稚園児だった私の次男が夕食がドラえもんカレーだと聞かされて嬉しさのあまりよだれが止まらなかったときのように、話しながらも笑いが止まらないのだった。その様子は見ていて「大丈夫か、この人?」と思うようなものであった。

 で、私は読んだわけだが、まぁ面白いけど、2人して(うずら&アイゼン)すっごく面白いと訴えることが納得できるほどのものではなかった。
 この2人が実は編者の石原たきびであり、自分たちで口コミを流布してんじゃないのかとの疑念を抱いたほどだ。
 そうそう、だいぶ傷んでいますから、と言っていたが、確かに人に貸すには(私なら)はばかられるような傷み方の本であった。

 このなかで1つ気になった体験談があった。
 それはこういう内容だ。

 以前、酔っ払ってスーパー銭湯に行った翌日。
 お財布があまりにも厚いのでびっくり!中を見ると一万円札6枚が千円札60枚に変わっていました。同行した旦那様によれば、券売機でチケットを買ってはフロントで払い戻すという謎の行動を繰り返していたそうです。彼はそんな私を「アホな事しとるなぁ、明日困るやろなぁ」と思いつつ、遠目で見ていたとのこと。
 見てるだけじゃなくて止めてほしかった!

 どうであろうか?
 私がどの部分で気になったかがおわかりになったろうか?
 わかるまい。
 だって気になったのは本文ではなく、投稿者の名前だったからだ。

 その名は「うずらたまご 38歳 女」である。
 これは、あのうずらさんなのではないか、と思った次第(旦那様が関西弁であることが確証を阻んでいる)。
 まっ、どうでもいいけど。
 早く返させてくれ、この傷んだ本。

a653c6e2.jpg   さて、来シーズン(4月~2012年3月)の札響定期のプログラムが先日発表になったが、創立50周年の今期はベートーヴェン・チクルスを行なう。私にとって唯一残念なことは、私はベートーヴェンだけを聴きにわざわざホールに足を運ぶ気力がないということだ。

 4月はドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の、これまた滅多に生では聴けない曲が演奏される。
 「スターバト・マーテル(Stabat Mater)」Op.58,B.71(1876-77)。
 指揮はエリシュカである。

 スターバト・マーテルはラテン語で「悲しみの聖母はたたずむ」の意味で、セクエンツァ(続唱)の1つだが、ドヴォルザークは自分の子供の死を悼んでこの宗教曲を完成させた。
 1875年に長女を失い、ドヴォルザークは翌年に「スターバト・マーテル」の作曲に着手した。しかし、他の仕事で多忙を極め、スケッチの状態のままだった。
 ところが、1877年に次女と長男が相次いで亡くなり、ドヴォルザークはこの子供たちの冥福のために作品を完成したのだった。
 出来上がった作品は悲しみに打ちひしがれるというものではなく、平安を求める穏やかなものとなっている。

 私が持っているのはクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団、同合唱団他による演奏のCD。1976録音。グラモフォン。