どういういきさつがあったのかはわからない。
 しかし、それはまぎれもない事実であった。

 先日の朝、台所に前夜のおかずの残りと思われる焼き魚が皿に盛られ、ラップをかけられ、大衆食堂のサンプルのように置かれていた。
 しかし、いつもと様相を異にしているのは、それがサバの塩焼きと、鮭の切り身と、サンマのみりん干しだった点だ。
 なぜ、焼き魚が3種類も?
 前の晩、遅くに帰宅した私には、その事情など皆目見当がつかない。猫の来客でもあったのだろうか?

 でもその光景を前にした私の頭には、一つの言葉が浮かび上がった。オーケストラの響きのなかから小音量のハーモニウムの音が浮かび上がってくるかのように。

 「ミックスグリル」

 空港の洋食店やファミレスにあるメニューのなかでも、私の心をつかんで離さないものに「ミックスグリル」定食がある。
 1枚の鉄板の上に、小ぶりのハンバーグ、小ぶりのチキンソテー、1本のウインナーがのっていて、一度にいろいろな味を楽しめる、1粒で2度おいしいどころか3度おいしい(という期待を持たせてくれる)メニューである。店によっては、その一品がサイコロステーキ2~3個だったり、厚く衣をまとった海老フライ1本だったりする。
 逆に考えれば、すべて中途半端な量なのだが、思わず「ミ、ミックスグリル」と頼んでしまうのである。

 で、台所で焼き魚3種盛りを目にしたとき、「そういえば、なぜ魚のミックスグリルってないのだろう?」と思ったのであった。魚好きにはたまらないメニューのはずだ。

 グリルという言葉を辞書で調べると、「焼肉料理」と書かれている。
 なるほど、だったら魚料理には当てはまらないのかもしれない(ひねくれた考え方をすると、魚の身だって“肉”なんだけど)。
 しかし、別な辞書では「焼き網料理」となっている。とすれば、焼き魚を盛り合わせたものでも「ミックスグリル」と呼んで差し支えないのではないだろうか?
 もっとも、そういうメニューがあっても、私は注文しないけど……

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第8番変ホ長調(1906)は、マーラーが丹念に調理したミックス・グリル的作品だ。それも、ハンパではなく、ギネスブックに載るようなてんこ盛りミックスグリルである。

 ただ、ミックスグリルはそれを目の前にした者にこの上ない幸福感を与えるが、不幸にどっぷりと浸かるような音楽を書いたマーラーがミックスグリルを作り上げると、当然のことながら不幸せ感が乏しくなる。だから第8交響曲は、ある一面、マーラーらしくない結果となってしまっている。

 私が第8交響曲にあまりなじめなかったのは、間違いなくそのせいである。
 私はマーラーの「不幸のうちでのたうち回る(H.C.ショーンバーグによる)」ような音楽を快感としていたのだ。だから幸せの中で大騒ぎしているマーラーはなじめなかったわけだ。

 とはいえ、私はもうこれから先50年60年も生きられない(だろう)。
 マーラーが最高傑作と自負したこの作品の魅力を知りたい。
 ということで、前に書いたように真剣にこの曲に取り組んでみた(集中して聴いたという意味)。長木誠司氏の分析本とスコアとを照らし合わせ、何度も聴いた。

 はまった……

 これはすごい曲だ。
 一流レストランの一流シェフなんかミックスグリル定食なんて作らないだろうが、この曲はまさかの一流シェフの手によるミックスグリルだ。一見見事で「うぅっおぉぉ~」と喉の奥で叫ぶものの、食べ始めると質感に不満が残るファミレスのミックスグリルとは違う。

 私は、特に第2部「『ファウスト』の最終場」になじめないでいたのだが、じっくりと聴くと、讃歌である第1部と、讃歌とは関係のないファウストが音楽的に見事なまでに関連づけられ、物語は“解決”していく。
 いやぁ、まいったね。
 背筋がぞくぞくしたね。
 もちろん、風邪じゃないよ。

 音楽之友社から出ているフィルハーモニア版スコアの解説にF.S.氏が書いているように、第8交響曲によってマーラーは、「すでにオペラを完成していた」のだ。

 この曲にはマンドリンやハーモニウム(リード・オルガン)という、ふつうに考えれば大編成オーケストラの中からは聴こえてこないような楽器も用いられている。実際、ボーッと聴いていたり、あるいはCDの録音によっては聴こえてこない。
 しかし、ちゃんと聴いてみると、それが実に効果的に鳴り渡ることがわかる。
 恐るべしマーラー!
 はっきり言って、そうとう好きになっちゃいました。

 この作品を初めて耳にしてから、かなりの歳月となるっていうのに、私はこの曲を漠然としか聴いてなかったことになる。
 あぁ、時間を無駄にしてしまったか?それとも、急がば回れ、か?

70e7d721.jpg  でも、マーラーはこの曲の大成功についてこう手紙に書いている。
 「この曲がいつでも典型的な強い印象を与えるというのは滑稽です。わたしのまさしく最も重要な作品が、もし最もわかりやすいとしたら、奇妙じゃないでしょうか」と。

 いえいえ、マーラーさん、私にとってはこれまでずっと十分わかりにくい作品でした。

 今日はテンシュテット指揮ロンドン・フィル他によるCDを。
 1986録音。EMI。

 この演奏は、テンシュテットの貫禄をことさら印象付ける。
 産業祭りで特大鍋に作られたキノコ汁のようなオーケストラや合唱を(ミックスグリルからキノコ汁かい……)、まったく危なげなく、むしろ余裕のよっちゃんのようにコントロールしている。かなり苦しそうになりがちな独唱陣や合唱も、決して絶叫に陥ることがない。
 安定した演奏とはこういうことをいうのだろう。
 演奏自体も奇をてらったところがない、むしろオーソドックスなもの。どっぷりと第8サウンドに浸れる。
 ただし、音の美しさや繊細さという点では、私はラトル盤を取る。

 あぁ、マーラーってすごい……(決して“ー”を取り除いて読まないように)