59f2ee1a.jpg  3月19日15:00~、札幌コンサートホールKitara

 前日夜の公演(A日程)に続き、足を運んだ。

 コンサートの流れは前日と同じ。
 プレトーク、今回の震災の犠牲者をしのんでチャイコフスキーの「モーツァルティアーナ」第3曲「祈り」の演奏。短い休憩をはさんでマーラーの交響曲第7番。

 初日の公演では管楽器の各パートで細かなミスが数多く感じられたが(生演奏だから仕方ないとも言えるんだけど)、この日はそれがずいぶんと減った。
 減ったが、局部的に結構強い痛打もあって、聴いていてヒヤリとした。

 しかし、この日の演奏は前日と何かが違った。
 ミスも少なくなった。アンサンブルも緻密になった。
 でも、それだけではない。
 初日はオーケストラ全体がどこか地に足がついていないような、ちょっとおどおどしたような感じがしたのだが、2日目はそれがなかった。オーケストラ全体が優れた一体化組織のように指揮者に反応した。
 この雰囲気が会場にいる聴衆を、演奏が始まってすぐにすっぽりと包み込んだに違いない。

 第2楽章や第3楽章のかなり難しいと思われるアンサンブルもばっちり!

 終楽章に入ると、私の背中には何かゾクっと走るものがあった。あぁ、久々の“感動ぞくぞく”体験!

 2日間の演奏に共通して言えること。
 まず、この作品では弦楽群のトップがソロで弾く箇所がけっこうあるが、札響の首席陣の演奏は、聴いていて誇らしくなるような見事さ。
 今定期のコンサート・マスター(ミストレス)は大平まゆみさんだったが、彼女は仙台市出身。いろいろ頭によぎるものがあったんだろうに……

 打楽器群もいつもどおり見事!
 真貝さんが先月で定年退職し光景的にさびしいものもあるが、大家和樹さんというメンバーがパーカッションに加わった。

 マーラーの交響曲は打楽器が多用されるが、第7番ではヘルデングロッケンとグロッケンゲロイテ(鐘の響きに似た、調律していない様々な金属の棒)が、第6交響曲とともに印象的。
 第2楽章の、舞台裏から左右に分かれて聴こえてくるヘルデングロッケンの効果的な配置は「高関さん、おみごとっ!」って感じ。
 奏者のことを言えば、2人の奏者、グロッケン・ペアがまた良い仕事をしてる!(そのあと、舞台裏から持ってきた鐘の1つをスタンドに吊るす作業のときの新グロッケン・ペアは、新婚さんが2人で洗濯物を干す作業をしているかのような微笑ましさがあった。グロッケン・ペアは、終楽章ではグロッケンゲロイテを向かい合って叩く)。
 グロッケン・ペアは、箇所によっては他のパーカッション奏者たちも加わったグロッケン軍団に組織が拡大化されるが、このあたり、音響はもちろん、視覚的にも楽しい(最後はかなり大変そうだったけど。それがまた感動を呼ぶ。匠の技だ)。

 ギター、マンドリンも美しい音が印象に残った。
 大きな音がでないこれらの楽器の音が、これだけきれいに、はっきりと聴こえてくるのは、指揮者のオケとの音響バランスの計算があることはもちろんだろうが、Kitaraの音響の良さも大きいだろう。

 大好きな作品を、満足いく演奏で聴くことができた。
 テンポを細かに変化させたり、強弱もときにはかなり大胆に変化をつけ、高関のアプローチが新鮮に感じるところが多々あった。
 とても感動した。
 マーラーの華麗で緻密で奥深い音響世界のすごさを、再認識することもできた(結局、2日目を聴いて、高関が施したという改訂箇所についてはわからなかった。高関が意図した、気がつかない=成功!、ということになったのかも)。
 マーラーはやはり偉大だ……

 B日程の公演にも行って良かった!