36fb75ca.jpg  先週土曜日の札響定期演奏会。その会場で売られていた、マーラーの交響曲第7番のCDを私は購入した。

 指揮は高関健。オーケストラは群馬交響楽団。
 2007年3月のライヴ。

 これを聴き、金・土の札響定期の演奏会の場面、音楽、雰囲気が頭によみがえった。

 群響は力演。
 そして、(もちろん一緒ではないが)札響定期で耳にできたものと同じマーラーの7番の音楽が再現された。

 指揮者が一緒だから当たり前なのかもしれないが、この群響の7番、札響のときと同様、個性的な演奏である。おそらく他のどんなCDを聴いてもこういう演奏はない。

 それは楽譜によるものだろうか?
 私にはそれはわからない。
 ただ、間違いなく言えることは、高関のアプローチの仕方が4年前から一貫しているということ。
 荒々しいようにも聴こえるが、実のところ荒々しいのではない。これはこういう曲なんだ、という説得させられそうな力がある。
 なんとも言い難い、忘れ得ぬ演奏。

 このCD、いまどき珍しい正統派レギュラー価格なので躊躇したが、今は買ってよかったと思っている。
 札響の演奏も録音して欲しかったなぁ。
 でも、このCDに出会えたことでもとっても幸せ。

 群響は高関の棒について行くのにちょっとしんどそうなところがあるが、熱演。
 この録音、音が直接的で空間的なゆとりが少ないのが残念だが、しかし、この個性を放つ演奏は十分聴くに値する。

 2007年3月10日、群馬音楽センターでの演奏会。ALM-RECORDS。

 なお、タワーレコードのオンライン・ショップでは、このCDについて以下のような紹介文が載っている。

 2006年の「第2番《復活》」公演に続いて再びマーラーに取り組んだ高関健&群馬交響楽団。度重なるスコア改訂が行われ、演奏上の問題を多く孕むマーラーの交響曲の中でも、特に第7番は、初版段階から誤植が散見されるなど最も複雑な事情を抱えている。高関は、自筆譜ファクシミリなどあらゆる資料を収集し、国際マーラー協会と議論を重ねながらスコアを徹底的に検討し、本番に臨んだ。その妥協を許さない姿勢からは、作曲家への限りない敬意が感じられる。 [コメント提供;ALM RECORDS/コジマ録音]

 ところで、今回の札響定期における高関のプレトークにもあったが、マーラーの交響曲中では第7番がいちばん聴かれる機会が少ないことは間違いない。

 「夜の歌」という、マーラー自身が付したものではない曲全体のニックネームが誤解を招いているのが原因の1つというのも一理あるが、それはあまり大きなことではないと私は思っている。
 私はマーラーの交響曲の中でも、この第7番には早い時期に熱狂したが、それは聴いていてカッコイイからである。特に終楽章のティンパニの連打、それに続くメリーゴーランドのような展開、色彩感は、第6番とは対照的な魅力を感じた。また、同じ5楽章構成の第5番と比較しても、第7番がなぜ人気が出ないのかが不思議だった。

 音楽ファンのなかでも、楽曲の構成がどうだとかいうことを考えながら聴く人はあまりいないのではないか?多くの人は、聴いていて心地よくなり、アドレナリンが出たりアルファー波が出たりして、感激、感動、興奮できれば、あるいは癒されれば良いのではないか?

 ということは、この第7番があまり聴かれて来なかったのは、終楽章で突然どんちゃん騒ぎが始まるという聴き手の困惑の問題などではなく(そういう人ももちろんいるだろうが)、あくまで楽譜の問題、つまり指揮者が取り上げる頻度が少なく、何種類もの録音があるとはいうものの、音楽ファンが聴く機会が少なかっただけではないかと思う。
 実際、終演後、Kitaraから中島公園駅へ歩く人の列からは、「今日のマーラーの曲は明るくて良かったね」とか「あの鐘の効果が面白かったわ」という会話が聞こえて来た。
 こういう声を耳にすると、マーラーの第7番はただあまり知られてないだけであり、聴く側からすれば、問題を抱えているから、魅力に乏しいから敬遠されているということではないのだろう。

63a790f2.jpg  楽譜の問題は高関も意欲的に取り組んでいて、それが群響の、さらには今回の札響の演奏に適用されているわけだが、今後さらに研究が進み、形が定まり、演奏頻度が高まることをGM7好きの私としては期待するところである。

 なお、この曲のプラハでの初演(1908)の評判は良くなかった。が、同時に強い批判もなかったという。
 また、翌年のウィーン初演の際、熱狂的にこの曲を受け容れたのが、12音音楽の開拓者の1人であるヴェーベルンだったそうだ。

 札響定期の話をもう少し書くと、今回のステージ上の楽器配置も効果的だった。空間を音が飛び交い、呼応し、絡み合う。

 例えば、第1楽章が始まって少し経ったところ。
 テノール・ホルンが吹くメロディーに、ほんの一瞬ホルンが重なるところがある(掲載譜。このスコアは音楽之友社からのフィルハーモニア版スコア)。これはCDで聴いていても意識していないとすんなり通り過ぎてしまうところだが、今回の配置の、ステージに向かって右側のテノール・ホルンと左側のホルンの、ステージ両端からの出された音の融合は、はっとさせられる効果があった。

 高関/札響といえば、昨年2月にショスタコーヴィチの交響曲第8番を演奏。これはCDにすべく録音をしていたはずなのだが、1年以上たった今もリリースされていない。
 いったいどうしたのだろう?
 私は、(老人性イボが目立ち始めた)首をキリンにしながら待っているというのに……