8fb6fe58.jpg  ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)は、交響曲第9番を1945年11月に発表したあと、次の第10交響曲まで8年もの間をあけている(第10番の初演は1953)。

 繰り返しになるが、第9交響曲は人々の期待を裏切る室内楽的な作品であった。それが「この野郎!」という怒りをかい、1948年の共産党の批判の対象になった。

 だいたいにしてショスタコーヴィチも悪いのだ。
 交響曲における9番という数字は、記念碑的な意味をもつし、同時に9番を書くということは運命的なジンクスもつきまとう。
 誰もが壮大な交響曲を期待するに決まってるし、ショスタコ自身が1945年3月のイズベスチャ紙に「ベートーヴェンの第9交響曲は1789年の事件=フランス革命によって生まれたではないか?」と、第2次世界大戦との関係を匂わせるようなことを書いているのだから。
 こりゃあスターリンが激怒しても当たり前。
 この次は大エビのチリソースだよって宣言しておいて、出してきたものはモンゴウイカのチリソースだったっていうようなもんだ。

 ショスタコーヴィチって、まともな人間じゃなかったじゃないかと私はときどき思ってしまう。
 余計なことを言わなけりゃトラブルなく済むかもしれないのに、わざととしか思えないようにこうした発言をするのだ。命がけで喧嘩をうっている。
 よくわかんない人だ。

 でも、'48年の批判によって、次の交響曲までは時間を開けざるを得なかったのは間違いないだろう。

 しかし、この8年間の間には、ショスタコの交響曲と並びもう一つのライフワークである弦楽四重奏曲が書かれている。

 第3番ヘ長調Op.73(1946)
 第4番ニ長調Op.83(1949)
 第5番変ロ長調Op.92(1952)

である。 

 交響曲がその音楽形態から当然のこととして多くの人々に注目されるのに対し、弦楽四重奏曲は私的な創作活動の範囲で収めることもできる。
 前に書いたように、ショスタコーヴィチはそのあたりを(程度のほどはよくわからないが)使い分けていたようだ。

 第3番から第5番はご丁寧に3年ごとに作曲されている。
 3曲が三つ子のような存在かというと、けっこう性格が異なる。

 三つ子と言えば、私は「三つ子の魂100まで」という言葉を聞いたとき、三つ子というのは死んだあとも100才の誕生日まではそのあたりに浮遊するという意味かと思っていた。
 しかし、勤めてからTAを使った研修で、3歳までに育まれたパーソナリティーは100歳になっても変わらないという意味だと初めて知った。
 つーことは、性格なんて直せないってことだ。
 あぁ、いくら努力しようとも、私は性悪(しょうわる)にはなれないってことか……

 今日は弦楽四重奏曲第3番ヘ長調Op.73(1946)。
 5楽章から成る。

 音楽之友社刊の「作曲別名曲解説ライブラリー ショスタコーヴィチ」では、この曲について、《3年前の1943年に書かれた交響曲第8番の構想を弦楽四重奏に移したといえる。5楽章という楽章数も、中間3楽章の構想も、2曲ともまったく同じである。交響曲第8番は「悲劇と苦難の物語」といわれるが、この「第3番」は、青春の喜びから不安と苦難を経て静かな成熟にいたるともいえよう》と、書かれている。

 第1楽章はおどけた感じ。なぁ~んも悩みなんてないよっていうように始まる。
 情景的にたとえるなら、早くに夫に先立たれ、そのあとはずっと独り暮らし。でも、悲しいそぶりなど微塵もみせずにいつも明るいワーチャおばさんなんていう名前で呼ばれている未亡人が、春の陽光の中、パラソルをさして日課の散歩に足取りも軽く出かける姿、って感じだ。最後は、子犬に追いかけ回されワーチャおばさんも動悸・息切れ……

 第2楽章は故障寸前のとうまん連続製造マシンが発するようなリズム(3拍子ではあるけれど)。そして、それを不安といらだたしさをもって見つめるパートのおばちゃんの苦悩。

 第3楽章は、いよいよマシンが壊れた様相。餡は飛び散り、おばちゃん大慌て。

 第4楽章は印象的な主題で開始されるパッサカリア。クビになりはしないかと落ち込むおばちゃん。

 第5楽章は、再びワーニャおばさんに登場してもらおう。
 夢の中での亡父とのワルツっていう感じ。そのあとは、とうまんのパートさんの苦悩が入り混じり、夢は混迷の度合いを強めそうになるが、しんみりとした余韻の中終わる。

 今日はエマーソン弦楽四重奏団のCDを。
 いやぁ、巧い!きれい!心に迫る!

 ショスタコの弦楽四重奏曲全集。
 第3番の録音は1999年、ライヴ。グラモフォン。