未亡人やらパートのおばちゃんやらと書いた記事を投稿した昨日は、実は父の3回忌法要がとり行なわれた日であった。

 いや、亡き父と“とうまん”屋さんのパートのおばちゃんとは別に何ら関係はない(私の知る限り)。
 3回忌と“とうまん”の間にも関係はない(親戚が供え物にとうまんを買ってきたら、私はひどくウケたことだろう)。

 しかし、憎まれっ子・母は、未亡人であることには違いないわけで、昨日の3回忌法要と未亡人とはまったく関係ないわけではない。もっとも、残念なことに私の母は、昨日私が作り上げた想像上の人物・ワーニャおばさんのようなタイプではまったくなく、はっきり言ってハンニャの方に近い。

 理屈では理解するが、死んで丸2年で3回忌というのも何となく紛らわしい。
 まあいいんだけど。

 昼前に坊さんが来てお経を読み(お経を聞きながら正座していると、足の裏がつりそうになるという、妙なクセが私にはある)、さっさと読経は終わり(お金を出しているにもかかわらず、早く終わった方が良いという稀なケースの1つである)、そのあとは集った少数の人間で盛り上がらない会食をし、ひどく前から日にちはいつにするなどとしちめんどくさいプロセスを踏んだこの儀式は、あっという間に終わった。
 あっという間だったが、あっという間に疲れがたまってしまった。
 今日が日曜日で何よりである(なのに、このように朝早くに目が覚めてしまう)。

 これまた亡父とは関係ないが、そしてしちめんどくさいので詳しい経過は説明できないが、私が学生のころ使っていた実家の部屋が、いまや“仏壇の間”となっている。
 そこに座っていると、この部屋でずいぶん音楽を聴いたもんだわい。それが今はお経かぁと思ってしまった。

 そんななかで、ジャケットに大きく「X」と書かれていた、モリス指揮のマーラーの交響曲第10番のLPのことを思い出した。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1910 オーストリア)の交響曲第10番の全曲版(クック版)を初めて聴いたのは、このモリス盤を購入したときだった。
 ただ、どうも期待していた音楽とは違った。演奏もパピっとしてなかったような印象がある。

 その次に買ったLPがレヴァイン盤であった。
 先日書いたように、その演奏、あまり記憶に残っていなかった。

fd725471.jpg  そして、レヴァインの「マーラー交響曲集」のCDを買ったので、この第10番(クック版)を久々に聴いてみた。

 やっぱりねぇ。
 美しい音だ。虚弱な私とは違い、強弱のめりはりもある。
 良い演奏だ。
 しかし、私の求めるものとどこか違う。

 クックはけっこう禁欲的にこの全曲復元版を作った。
 私には、そこにマーラーっぽくなく感じるところがあるのだが、それに加えてレヴァインの演奏は、喜怒哀楽のうち怒と哀が希薄。笑みを浮かべてお経を聞いているような、能天気なような、そういう姿勢が感じられる。

 あのころは気づかなかったが、その後いろいろな演奏でクック版を聴いてきた私には、もうレヴァインの演奏は私が求めているものとは違うの、ってもんだ。さらに、長い間私がクック版に違和感を覚えていたのは、この演奏と折り合いが悪かったせいにほかならないと思うに至った。

 いや、良い演奏ですよ。
 でも、好みが違うの。
 だって、私、もっと激しくて痛いのが好き……
 逆に言えば、実に誠実に取り組んだ演奏なんだろうけど。

 レヴァイン/フィラデルフィア管弦楽団によるこの演奏は、1978/80録音。
 RCA。

 おととい(こどもの日)の夕方。
 突如、思い立ってタイヤ交換をした。

 社内のある人(そんなに頻繁に話をする相手ではない)が、以前タイヤ交換をしようとタイヤを持ち上げた瞬間にぎっくり腰になったそうで(本人は「タイヤ交換をしていてぎっくり腰になった」と言っていたが、正しくは「タイヤを運ぼうと持ち上げたらぎっくり腰になった」わけで、交換までは行きついていない)、私も慎重を期して作業したが、4本を交換し、空気圧のチェックをし、圧が低いタイヤには(運悪く4本すべてだった)自転車用の空気入れで空気を入れ(空気入れのハンドルを15回上げ下げすれば0.1気圧上がる。わが家の熊さん印の空気入れの場合)、ワイパーも夏用に替え、これらすべて完了するまでに40分かからなかった。われながら見事だ。

 なお、ぎっくり腰になったその人、回復したと思ったら、その後商談で取引先の部長に深々とお辞儀をした瞬間に、またギクっとなったそうだ。驚いただろうな、おかしかったろうな、その部長。

 ……

 法要のあと、一般道はごちゃごちゃするから高速道路に入った。
 途中、札幌インターの料金所でのこと。
 先の方に2台のパトカーが赤色灯をつけて停まっているのが見えた。

 「おや?何かあったのかな?」

 と、料金所ゲートへ入ると、交通機動隊の服装をしたおじさん(おそらく交通機動隊員なのだろう)が立っていた。
 窓を開け一旦停止した私の車の中をのぞき込み、彼はぼくとつとした口調で言った。
 「いま、シートベルト着用の取り締まりをしてるんです」

 いやぁ、そうですか。小雨が降り始めたのにご苦労さまです。
 私は心からそう思った。

 「ですから、違反です」
 そのときも私は何が自分に起こったのかわからなかった。「ご苦労さま」というねぎらいの気持ちから、私はまだ柔らかな笑顔のままだったに違いない。瞬間冷凍されたかのように。
 そもそも私も、助手席の妻も、いつものようにきちんとシートベルトを着用しているのだ。違反だなんて、悪い冗談に違いない。

 そのとき彼の視線が動いた。

 その視線の方向で、私は状況を瞬時に把握した。
 今日は後部座席に息子が乗っていたのだった。
 ゆっくりと首を左旋回して後ろを見ると、あいつは当たり前のようにシートベルトをしていなかった。おまけに親がいま警察沙汰に巻き込まれているというのにボーッとしていた。
 盲点だった。

 「あの先のパトカーのところまで行って、手続きしてね」
 やっぱりこの人、本物の機動隊員だったのだ。でも、こんなときに優しい言い方をしないでくれ。怒ってもほしくないけど……

 2台のパトカーは手続き用に停まっていたのだ。

 すでに1台は先客が1ポイントマイナスの手続きをしていた。

 私は若い機動隊員にもう1台に案内され、1ポイント減の手続きをさせられた。

 しかし、運が悪かった。
 いや、ふだん後部座席に人が乗ることが少なく、ましてや高速利用なんて稀なため、後部座席客がシートベルトを着用していなかったのに気づかなかった私に非があるのは認める。
 機動隊員様にたてつく気は毛頭ない。
 自動車教習所に通う電車の運転士さんのように「シートベルトよぉ~し」と指差し確認するべきだったのだ。うかつだった。

 運が悪いというのは、私ともう1台の愚かな生け贄が手続きをしている間、つまり手続き車両が両方とも使われてる間は、見ている限り、取り締まりを休止しているようなのだ。
 その間に通過した車は、ラッキーなことにノー・チェックのように思えた。
 
 私があそこを通ったとき、別な2台が捕まっている最中なら、私は捕獲されなかったかもしれない。お願いだから、(もし私の疑念が事実だとしたら)そういう不平等なことはしないで。シートベルトをしないのはとっても危険なこと。だから、乗っている人の安全のために、躊躇せずに捕まえて。待たせておけばいいんだから。
 ラーメン屋だって、たとえ席がいっぱいでも、追い返さないで並んでもらってるでしょ。

 2年前にスピード違反で覆面パトカーに捕まったときも、夏タイヤに履き替えてすぐのころだった。
 前回との違いは、罰金がないだけである。
 でも、次回はゴールド免許に復活できるだろうと期待していたのに、平成27年の免許更新時には、また青色ということになる。
 ゴールドに戻る日が来る時まで、私は生きていられるのだろうか?