私が毎年ここ札幌で受診している人間ドック健診センターのプログラムは午前中に検査があり、そのあとは弁当が出される。

 ここのドック、大阪や東京に単身赴任中に受けていた健診センターに比べると、どこが悪いのかうっすらとは気づいているのだが、まあ段取りが悪いのだろう、開始からオプション検査を除く全検査が終了するまでに1時間半~2時間ほどかかる。大阪や東京だったら1時間で終わっていたのに。

 で、お弁当が出されるわけだが、前夜9時以降から絶食しているからありがたく感じるが、そうじゃなかったら全然ワクワクしない内容のものだ。

 大阪では食事など最初から用意されていなかった。
 東京のときは、午後からの診断結果の説明を聞きたい人に限って、近所のレストランの食券がもらえた。
 しかし、一度そのように申し込んだら、9:30には検査が終了し、レストランが開く11:30まで時間を潰すのに大変だった。
 たかがカレーライスを食べるのに(結果的にカレーライスを食べたのだ)、なぜ2時間も待たねばならないのか?そして、そうやって待っている自分がとても卑しい人間に思えた。
 しかも午後になって行ってみたら、私以外、誰1人結果を聞きに来ている人はいなかった。東京の人は忙しいのね。私も決して暇じゃなかったんだけど……

 だから札幌でも結果なんか聞かないで、昼はこの病院の地下食堂で、豪華に親子丼、あるいはラーメン・ライスなんかを食べたいところだが、君が代斉唱時の起立だか健康指導だかが義務化され、午後からの説明を聞かなくてはならなくなった。受診者の義務なのだ。

 午後まで健診センターにいなきゃならないのだ。
 昼の弁当を食べずに、外へ出て食べるという方法もあるが、ドック服を着替えるのが面倒だし、あるいは私の弁当だけ余っていたら何か大きな騒ぎになるようで、そんなことまでして外食をする勇気はない。

 ということで、空腹でもあまりワクワクしない弁当を食べるしかないのだが、弁当は3種類から選ぶことができる。

 幕の内弁当、生姜焼き弁当、天ぷらそば弁当である。

 幕の内弁当は何のことはない鮭弁当である。
 生姜焼き弁当は、薄い豚の生姜焼きが2枚入っている。
 幕の内弁当と生姜焼き弁当の違いはメインが鮭か豚肉かの違いだけで、それ以外のおかず、昆布の佃煮や玉子焼き、煮物に漬物などはほぼ共通であり、驚くほど創意工夫がなされていない。しかも、生姜焼きの場合、メインといってもたった2枚だし。

 私は毎年飽きずに生姜焼き弁当を食べているが、もう限界だ。
 ということで、天ぷらそば弁当にした。
 選びたくはないが、変化を求めるには他に選択肢がないのだ。

 こういった弁当のソバはコンビニの場合でもおわかりのように、メンが完全に毛玉化している。それは覚悟の上だ。
 私が引かれたのは、サンプル写真にいなり寿司2個が写っていたことだ。
 いなり寿司がすごい好物ってわけじゃないけど、何となく魅力を感じた。
 つまりこの弁当は、市販の袋入りゆでめんのような状態になってしまった冷たいそば、弁当名に取り入れるのが恥ずかしいくらいの天ぷら、男性の股間の光景を連想させる2個のいなり寿司、やっぱりどうしても入れたいのか他の弁当と共通の煮物、から構成される。

 そして、そう、私が何より最初から期待していなかったのは天ぷらだ。
 こういうものの天ぷらでろくなものはない。
 健康を推進するこの聖なる地における天ぷらも、やはり同じだった。衣の方が具そのものよりも華やかだ。これなら口に入れない方が身のためだ。

 考えてみれば天ぷらと一言でいっても、これほどピンからキリまである食べ物は珍しい。
 美味いものからまずいもの、内頬が切り傷だらけに鳴るんじゃないかと思うほど衣が堅く鋭角的なもの、食べたあと胸焼けしてどーしよーもないものと、格差があまりにも大きい。

 天ぷら専門店のカウンターで揚げたてを1品ずつ、アツアツと言いながら頬張るのも天ぷらなら、スーパーの弁当コーナーに置いてある398円の天丼の具も天ぷらである。
 小エビや貝柱がぎっしりと過密状態に寄せられているものがかき揚なら、カップ麺の天ぷらそばの具もかき揚と称する。

 で、ドック会場で供された天ぷらそば弁当に入っていた天ぷらは、どうして保健師はこれに目をつぶっているのだろうというようなもの。すでに書いたように、衣が主役なんだもの。
 「あなたの食生活は悪い」と客(クライアント)を説教するくせに、こんなものを正々堂々と供するのだ。

 で、関係ないがショスタコ―ヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第10番ホ短調Op.93(1953)。
 ご存知、タコ10と言えば、第9交響曲で世間に肩透かしを食らわせ、そんなことしたらひどい目に遭うのはわかりきっているのに、やっぱりその予想通り人民の敵扱いされ、その反省を踏まえて書いた曲。
 とはいえ、この10番もあまり反省しているとは思えない。

 この曲の大きな特徴は、第3楽章で執拗に出てくる名前由来の2つの音型
 1つはショスタコ―ヴィチのイニシャルのD-S-C-H音型。もう1つはホルンで何度も吹かれるE-A-E-D-Aという音型。こちらの方はショスタコが密かに思いを寄せた教え子、エルミーラ・ナジーロヴァのイニシャルであるとも言われる。また、これはマーラーの「大地の歌」の冒頭を模しているとも言われる。
 あと、あのカラヤンが録音しているショスタコはなぜかこの第10番だけである。曲の特徴では全然ないけれど……

19609cbf.jpg  ちょいと前にコフマンの演奏を取り上げ、その演奏は茶室的美しさと意味不明のことを書いたが、今日は、学業でも高い成績を収めているが、同時に県大会でも優勝するぐらいの優れた卓球選手のような、ヤンソンス指揮フィラデルフィア管弦楽団の講堂的演奏。

 決してガンガン鳴らすような演奏ではないが、メリハリ、そして締まり方はさすが。
 第1楽章の開始の「何かが忍び寄って来るような」緊迫感は、呼吸が苦しくなるかのよう(心電図検査の前には聴かない方がいい)。全体的に、コフマンとは別な美しさがある。
 ショスタコーヴィチの音響の特性なのかどうかわからないが、ヤンソンスの10番は低音があまり厚くない。こういうショスタコの演奏って10番に限らずときどき出くわす。
 私は低音がもう少し厚い方が好きだ。そうだったならバドミントン部員の体育館的演奏という感想を持つのに……
 そして、それでもコフマンよりこっちの方が、やっぱいいな、というのが私の好み。
 終楽章の最後の盛り上がりも、もう少し激しくして欲しい感じがする……(このあたりのホルンとトランペットが巧い!)
 1994録音。EMI。

 昼の弁当?
 やっぱり失敗した。まっ、天ぷらはスーパーなんかのものよりはましだったけど(ちなみに、、エビと1尾、オクラ1本、1.5cmの長さに切ったチクワ。これだけ。タコの天ぷらは入っていない。なお、そばは想像していたよりはダマ化していなかった)。

 向かいの人が食べていた生姜焼き弁当の方が、やっぱり上を行くと思った(低レベルの戦いではある)。
  
 検査結果?その報告はアタシの気持ちが落ち着くまで待って……(いや、大げさに書いたけど、例年通り良くなかったです)。
 今日1日の出来事で、あと2話くらい書けそう……