b50639eb.jpg  今日の記事が1400回目。

 もちろん、一度投稿したものの、のちに削除した記事はカウントされていない。
 純粋にいま、高貴な私の手による1,400もの駄文が、この世に存在しているのである。

 ♪ダブーン、見ずの王国ぅ~……すいません
 (道外居住者の方へ~これは定山渓ビューホテルのCMソングの出来そこないの替え歌です)。

 これら、千夜一夜物語をしのぐ1400にのぼる話の内容をかいつまんで紹介しながら、MUUSANの「読後充実度 84ppm のお話」の歩みを今日から15回にわたって振り返ってみよう。

 ああああ、ごめんなさい。
 ウソです。
 そんな、無意味で迷惑なことはしませんから逃げ帰らないでください!

 ♪

 先日の札響第540回定期演奏会では、1曲目にブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「シンフォニア・ダ・レクイエム(Sinfonia da requiem)」Op.20(1940)が演奏されたが、すでにご紹介したとおり、この曲は1940年の皇紀2600年を祝う曲として日本政府に委嘱されたものだ。

 皇紀2600年って何なのかというと、日本の初代天皇である神武天皇の即位から2600年に当たる年。このイベント、日中戦争で疲れた国民に祝賀ムードを、っていう狙いもあったようだ。
 祝賀のために演奏すべく、“皇紀2600年奉祝曲”の作曲が海外各国に委嘱されたのだったが、その中の1曲が「シンフォニア・ダ・レクイエム」だった。
 なお、奉祝曲の演奏会のために特別に結成された“紀元二千六百年奉祝交響楽団”は、小澤征爾の師でもあった齋藤秀雄が当たったという。

 ところが、送られてきたブリテンの作品に対し、日本政府が「お祝いにレクイエムとはけしからん」と演奏拒否したことは前に書いたとおり。

 結婚式で“別れの酒”を歌うようなもんだからな……
 もっとも、実は拒否した理由はそれだけではなかったようだが……

 2600年にふさわしくないのなら、よし、本日の1400回で取り上げましょう。って、自らの立場も何も考えずに、勢いだけでごめんなさい。好機1400回。

 過去記事と重複すると思うが(ここで「歩みを振り返る」という約束が成就される。ところであなたは“重複”を“ちょうふく”と読みますか?それとも“じゅうふく”派ですか?私は“じゅうふく”派です)、レクイエムというのはカトリック教会における“死者のためのミサ”のことであり、本来は典礼儀式である。
 が、この典礼儀式で歌われる歌もレクイエムと呼ばれるようになった。
 その名の由来は、歌詞の始まりが、“Requiem aeternam dona eis,Domine(主よ、永遠の安息を彼らに与え)”であることによる。

 初期のキリスト教においては、死は天国での誕生と考えられた。死んでも信仰は断ち切れないということで、それを確認するためにパンと葡萄酒を分かち合うミサをあげた。
 ところが時代とともに、死者のためのミサは変化を遂げ、特に中世以降は煉獄(れんごく)の概念が広まった。

 煉獄というのは、すぐに天国に行けない魂が最後の審判のときまでとどまらされ、生前に犯した罪のためにビシバシと責められる場所である。
 煉獄の概念が広まることによって、死者のためのミサには恐ろしい場面を描く「怒りの日」などが加わった。
 16世紀以降、宗教改革によって煉獄の存在とその恐怖は否定された。そのため、プロテスタントではこのような音楽は成り立たないが、カトリックでは恐怖の場面はそのまま残された。

 死者のためのミサは、当然のことながら通常ミサとは異なるので、レクイエムで選ばれる歌詞も通常ミサとは異なる。また、作曲家によって取り上げるパーツも異なり、たとえばフォーレデュリュフレは「怒りの日」を採用していない。

 さて、ブリテンの「シンフォニ・ダ・レクイエム」だが、この作品は声楽を用いない管弦楽のためのもの(その後ブリテンは「戦争レクイエム」を書いている)。レクイエムの気分を楽曲にしたのだ。
 
 曲は3つの楽章から成るが、切れ目なく続けて演奏される。

 第1楽章は「ラクリモサ(涙の日)」、第2楽章は「ディエス・イレ(怒りの日)」、第3楽章は「レクイエム・エテルナム(永遠の安息を)」となっている。
 厳しい緊張感が持続するが、美しくもあり、そして終楽章は平安に満ちた曲である。

 今日紹介するCDは、スターン指揮カンサス・シティー・シンフォニーによる演奏のもの。
 すごい緊張感に支配されているという演奏ではなく、どちらかというと聴き手を酔わせるような演奏。適度な厳しさと、色彩感、そして心洗われるような優しい美しさが味わえる。
 2009録音。REFERENCE RECORDINGS。

 煉獄という言葉で思い出すのが、1つは幼いころどこかで聞かされた「天国と地獄の中間にレンゴクという場所があります。悪いことをした人は天国に行けません。地獄に行きます。でも、ほんのちょっとしか悪いことをしていない人はレンゴクというところに行きます」という話。
 その数日前にアカトンボを殺したばかりだったので、「じゃ、おいらはレンゴクでいいや。天国には行けない身だから」と思った記憶がある。
 でも、これを言った大人もうそつきだ。だって、煉獄は審判が下るまでの待合所みたいなもので、最終的な行き場所とはならないから。

 もう1つは、学生時代に読んだソルジェニーツィンの小説の「煉獄のなかで」。
 この小説は複雑だが面白かった。ソヴィエトの話だから日常生活の恐怖を描いており、決して明るい気分になれなかったけど、すごい小説だと思った。特に最後の終わり方に唸ったね、私は。 

 最後に、この記事を書きながらふとわいた疑問。
 ぶりの天ぷらってあるのかな?
 ぶり天……

 こんなくだらないことを書いているようじゃ、私はやっぱり天国に行けそうもない。
 クリスチャンじゃないし。

 ちなみに、マーラーの未完の交響曲、第10番の第3楽章には「煉獄(プルガトリオ)」という名がついている。