09df5b60.jpg  優子さんから、ぜひとも私にお金をもらってほしいというお願いが来た。

 優子@お金貰ってさんからのメッセージ。

 *件名*
 おめでとう御座います☆掲示板で目についた方に無差別でメールを送っています。先着順で【欲しい額】無償配布中です☆即決下さい

 *本文*
 自宅、家具・家電類、美術品、車、私の持っている全ての『財産』を売却し、現金に変えました。
 総額で3億4200万円、このうち『9000万』だけを残して全て慈善団体の寄付しました。残り『9000万』このお金を?欲しい?と連絡をくれた方に、【無償】でお好きな額を差し上げています。
 大体30人~50人ぐらいの方に声をかけてゆく予定ですので、お早めに連絡を頂ければ貴方の【希望額】が手に入ると思います。
 今回このような行為に及んだのは、私は温室育ちの令嬢じゃない!という事を見せ付けたいと思ったからです。
 私はお金持ちの家に生まれ、何不自由せずに暮らし、何事も無いまま今までの人生を生きて参りました。
 そんな苦労もしてない私に≪人間としての魅力が無い≫とこのサイトの男性にメールで去年言われ、それをずっと引き摺って今も苦しんでいます。
 そこで私も普通な人生を過ごしてみたいと思い、来月からはアパートを借りて、一人暮らしをする事にしました。

 このメールは嘘や冗談でも悪戯なんかでもありません!本気です。
 希望額を仰って頂ければ、数時間後には貴方のお手元にお金がゆくよう手配します。
 貴方はいくら、貰ってくれますか?…

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 しっかしさぁ、こういうことすること自体が温室育ちなんだよ!って、ちと違うか?
 こんな金をもらったら、悪魔に魂を売ったのと同じくらいひどい目に遭うぞ!まあ、どうせ嘘八百の話に間違いないんだけどさ。

 そこで悪魔に魂を奪われた男の物語。

 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ソヴィエト→アメリカ)の「兵士の物語(Histoire du soldat)」(1918)。フランス語による2部から成る舞台作品である。

 この作品が書かれたのは第1次世界大戦末期であり、当時の経済情勢を反映して、編成は各奏者1人のクラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、ヴァイオリン、コントラバス、打楽器という小規模なものになっている。
 台本はC.F.ラミューズ。元の物語はアファナシエフのロシア民話「脱走兵と悪魔」である。

 物語の筋は、

 1人の兵士が故郷へ帰る道の途中で悪魔に出会い、そそのかされて自分のヴァイオリンと悪魔が持っていた「金儲けができる」という本を交換する。
 字が読めない兵士は3日間悪魔の家で本の読み方を教わったあと、故郷へ戻る。
 しかし、かつての婚約者には夫と子供がいて、3日間が3年だったことがわかる。
 その後兵士は本のおかげで金儲けができたが、心は満たされないまま。そこに変装した悪魔が現れ、あのヴァイオリンを兵士に売りつける。兵士は言い値で買ったものの、ヴァイオリンは鳴らず、ヴァイオリンを投げつけ本も破り捨てる(以上第1部)。
 あてのない旅に出た兵士。
 あるところで、国王の娘が原因不明の病に侵され、その病気を治した者は王女と結婚できるという話を耳にする。
 兵士は城へ向かうが、城の控えの間にヴァイオリンを持った悪魔が現れる。悪魔と賭けトランプをして負けた兵士は、金を返したということによって悪魔を倒してしまう。そしてヴァイオリンを持って王女の部屋に行き、弾く。
 すると王女は起き上がり、踊りはじめる。
 こうして兵士と王女は結ばれるが、悪魔は2人が国境を越えることがあれば自分の手に落ちると言い放つ。
 兵士は自分の故郷に戻りたい気持ちを抑えきれず、王女を連れて国境を越えてしまう。
 その瞬間、兵士は待ち伏せした悪魔に連れ去られる(以上第2部)。

 「兵士の物語」は、ストラヴィンスキーの新古典主義への移行を示す作品として重要な位置づけにある。あの「春の祭典」を書いた“恐るべき子供”が大方向転換したのだった。
 H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、次のように書いている。

 兵士と悪魔をめぐるロシアのおとぎ話に基づいた『兵士の物語』は、さまざまな音楽形式を全く異なったリズムと組織に編成し直して、様式的に扱うといった、全く新しい方向を指向している。ミニチュアのワルツにタンゴ、ミニチュアの合唱曲に行進曲と、万事が小作りである。
 ジャズも一役買っている。ストラヴィンスキーは1962年に、こう書いた。
 「ジャスに関する私の知識は、全く楽譜から得たものだった。ジャズ演奏を実際に聴いたことは一度もなかったので、そのリズム様式は演奏されたものでなく、書かれたものとして借用した。しかし私は、ジャズの音を想像することができたと思いたい。いずれにせよ、ジャズは私の音楽中の全く新しい音を意味し、『兵士の物語』は、私がそのなかではぐくまれたロシアの管弦楽法から、ついにたもとを分かったことを示す里程標である」
 『春の祭典』の複雑さに文句を言う者でも、音が明確で手法がつつましい『兵士の物語』にはあまり異議を唱えることができなかったであろう。この作品と『管楽器のための交響曲』の次に発表されたのは、1923年の『八重奏曲』だったが、ストラヴィンスキーは『交響曲変ホ長調』以来初めて、このなかでソナタ形式を使用した。こうして、ストラヴィンスキーの新古典主義が開始された。つまり歴史的様式を現代の言葉で表現する手法である。


 「ミニチュアの合唱曲」というのがよくわからないけど……

 以前、この作品ではブーレーズの指揮によるCDを紹介した。
 ブーレーズ盤は洗練された演奏で、とてもすばらしいものだが、今日はちょっとタイプが違う演奏を。
 コクトーが編集した台本による演奏で、Wikipediaによると初演時のラミューズ版と以下の点が異なる。

 1. 第1部と第2部の区別がない。
 2. 各登場人物の発言をそれぞれの役(語り手、兵士、悪魔、王女)に割り振っている。そのため、本来はパントマイムだけでせりふがない王女にもわずかだがせりふがある。
 3. 台本では“ト書き”になっている部分を、語り手が読み上げている。 
 
 ブーレーズ盤はよどみなく進んでいくのに対し、こちらはちょっと泥臭く、いかにも“劇”といったせりふ回しが楽しい。名演技だ。
 また、電話のベルなどの効果音も随所に使われており、舞台を観ているかのようとまでは言わないが、けっこうなリアル感がある。退屈しないという点では、ブーレーズ盤よりもこちらの演奏だ。ただ、ブーレーズ盤の方が好き嫌いの大きな差は出ないだろう。

 マルケヴィチ指揮アンサンブル・ド・ソリスト、コクトー(語り)、ユスティノフ(悪魔)、フェルテ(兵士)、トニエッティ(王女)。1962録音、フィリップス。

 フランス語と言えば、昔アラン・ドロンが出ていたダーバンのCF。
 終わりにアラン・ドロンが「ダーバン、セデデゴンステァンマディアン」みたいな決め言葉を言っていた。私はそのマネが比較的上手だった。