824ceb7f.jpg  ショスタコーヴィチ(Dmity Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。今日はヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による演奏を。

 ペトレンコは1976年生まれ。
 CDの帯によると「最近注目の若手指揮者の中でも、とりわけ有望株の1人」なんだそうだ。
 ナクソスから出ているのだが、ご丁寧に紙のスリーヴに入っている。
 
 スリーヴの中の通常のジャケットはショスタコの姿。いかにも神経質そうだ。でも、良い写真だ。

 じゃあ、そのペトレンコのショスタコ5番の演奏がどういうものなのかというと、同じくCDの帯に書かれているのを読むと、「ショスタコって、確かに昔は泥臭いイメージがありました。しかし、今はモデルチェンジしたかのようにスタイリッシュです」とある。

 昔は泥臭かった?
 そうだろうか?
 私はショスタコの作品に泥臭さを感じたことはあまりない。
 ロシア5人組のような民族楽派はとにかく泥臭い、というか土臭い。あれはあれでロシアの大地を思わせてすごくいい。
 しかし、チャイコフスキーとなるとその土臭さはだいぶ影をひそめる(カリンニコフはもうちょっと土臭くて、チャイコフスキーほどヨーロッパっぽくない。私好きですけど)。そして、ショスタコやプロコフィエフになると、そりゃロシアの血は受け継いでいるものの、昔も今も土(泥)臭いというものとは違う。
 特に第5番なんかは、なかなか泥臭く演奏できないんじゃないかと思うのだが……

 そういう意味では、このセールス・トーク、かなり微妙。いい加減さを感じる。
 しかし、「へぇ、じゃあどんなもんだか聴いてやろうじゃん」と私は購入してしまった。そういう意味では、このセールス・トーク、かなり巧妙。

 どれどれ。
 さっそく聴いてみた。

 第1楽章。冒頭から堂々とした響き。しかしあまり重苦しさはない。響きに透明感がある。一歩一歩踏みしめるようにして曲は進む。展開部に入ってもあまり感情を露わにせず、音量はあるがオケが暴走するようなことはない。再現部もとても美しい。が、スタイリッシュっていう言葉は当てはまらない。このあたりはとても情感豊かだ。
 第2楽章。この楽章もじゅうぶんに諧謔的。スタイリッシュという言葉は、この演奏には逆に失礼な例えと思えるぐらい。
 第3楽章。この楽章の魅力を十分に引き出している美しい演奏。オケも巧い。
 第4楽章。緊迫した開始。テンポはノーマル。その後ややアクセルを踏む。第1楽章同様堂々としていて響きの厚みもある。アンサンブルは決して破綻しない。曲尾はスロー・テンポ。このテンポは私の好みではない。

 トータルでみると見事な演奏。ショスタコの5番に新たな名演が加わったと言えよう。
 しかし、モデルチェンジとか、スタイリッシュとは思えない。いたって正統的な、でもすばらしい演奏だと思う。
 2008録音。ナクソス。 

 あれ?泥臭いって、もしかすると演奏そのものじゃなくて、スヴェトラーノフみたいな指揮者のイメージのことを言ってるのかな?