小学校低学年のころ、私はしょっちゅう頭痛と嘔吐に襲われることを繰り返していた。
頭が痛くなって、その痛みから吐いてしまう。もちろん食欲はない。そういうのが3日ほど続き、すっと頭痛はおさまり、食欲も出てくる。
不思議なことに、最初に食べたくなるのはたいていはアイスクリームだった。
近所にあった個人病院の医者は“自家中毒”と私を診断した。
自家中毒……
この病名は近ごろすっかり耳にしなくなった。
というのも、今は“周期性嘔吐症”とか“アセトン血性嘔吐症”というらしい。確かに何かによる中毒じゃないんだから“自家中毒”っていうのは適切じゃない気がする。自家製麺みたいに、自分で中毒を作り出すみたいだもの。
病名はともかくその原因はわかっていないというが、精神的ストレスが影響しているのは間違いないらしい。そして、糖質の代謝がうまくいかずに血液中にアセトン出てくることで症状が現れるようだ。
あのころはまだ学校でのイジメというのはなかったが(少なくとも概念としては)、田舎の小学校だったこともあり、いたのは必ずしも紳士的な児童ばかりではなかった。しかも、当時はプロレス・ブームで、休み時間ともなれば教室の片隅でプロレスごっこが行なわれていた。
ジャイアンみたいな奴がいて、そいつと対戦しなければならないのだ。
次から次へとこの悪役レスラーにやられ、やがて私の番がくる。勝てることはまずないわけで、おそらくはこれが私の最大の精神的ストレスだったに違いない。アセトン光線でも出せればよかったのに……
具合が悪いときに寝ていると奇妙なことが起こる。目が覚めているような眠っているような境界をさまよっているような感じなのだが、時間がものすごく遅く進んだり、逆に高速に進んだりする夢を見るのだ。遠くから聞こえる誰かの話し声が異常に速かったり、あるいは遅く聞こえる。
ただ、私の場合はいつも決まった内容の夢をみたり、繰り返し繰り返し同じ音楽や言葉が頭の中に響き渡って悩まされるということはなかった。
矢代秋雄(Yashiro Akio 1929-1976 東京)のピアノ協奏曲(1967)。
矢代が46歳というあまりにも早くして亡くなったとき、作曲の師であった池内友次郎は“音楽芸術”誌に「一般に矢代君は寡作家である、と言われているが、彼の作品はすべて立派な完成品であり、これからもしばしば演奏されるはずの持続性豊かなものばかりである。そのそれぞれの音楽の中には、洗練された音楽様式が脈打っている」と寄せている(矢代は伊福部昭にも師事している)。
矢代はピアノ協奏曲を2曲書き残している。
最初に書かれたピアノ協奏曲は1947年の作だが未公表で終わった。
2つ目に書かれたのが今日紹介する作品で、1968年の尾高賞を受賞している。
第1楽章。ピアノによる最初のフレーズからして、何か恐ろしいものが姿を現しつつある気配が感じられる。恐ろしい世界が待ち受けているようだ。
明るい曲ではない。しかし、幻想的でパワフルで、でも美しい。
第2楽章では「ター、ター、ター、ッタ、タ、タ、ター」という音型が繰り返し現れる。この暗い影を伴うような音型について、矢代は「幼いころに見た夢の記憶」と語っている。
かなり昔のことだが、NHK-FMでこの曲が放送されたとき、解説者が「作曲者が熱を出して寝込むと夢に出てきたフレーズ」というようなことを言っていた。
彼の幼いころのことは知らないが、この夢は1回や2回のことではなかったに違いない。恐ろしさ、苦しさの象徴。その世界へ引きずり込まれそうな、あるいは自分の葬送行進曲のような音型。それが執拗に繰り返される。
終楽章では第1楽章の回想、そしてあの音型が再び襲ってくる。
このピアノ協奏曲は日本人が書いたこのジャンルの作品としても最高傑作に入るだろう。
聴けば聴くほどその良さがわかってくる曲だ。
CDは岡田博美のピアノ、湯浅卓雄指揮アルスター管弦楽団によるものを。
2001録音。ナクソス。
新館入口(2014.6.22~)
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