e5642235.jpg  家の近くのショッピング・センターの中の(近くと言っても車で7分ぐらいはかかる)、たいした広くないCDショップをうろついていたらちょいと食指を動かされるCDがあったので買ってみた。

 岩城宏之がオーケストラ・アンサンブル金沢を指揮したムソルグスキー(Modest Mussorgsky  1839-81 ロシア)の組曲「展覧会の絵(Pictures at an Exhibition)」(1874)。
 オーケストラ編曲はラヴェルではなくジュリアン・ユー(Julian Yu 1957- )によるもの。編曲が行なわれたのは2002年。

 なぜ「展覧会の絵」のCDを買ったのか?
 なぜか最近、いくつかのTV-CMでこの曲が使われている。あまりTVを観ない私の耳にもやけに飛び込んでくる。
 それにちょっぴり影響されて、「そういえば『展覧会の絵』って、アシュケナージとチェリビダッケ、それにショルティ以外の演奏をずいぶん長いこと聴いてないな」と買った次第。

 なぜラヴェル編曲のものを買わなかったのか?
 結論から言えば何も考えていなかった。ただ、CDジャケットの岩城宏之の笑顔がなんだかすごく懐かしく思ったから、これを買った。ジュリアンちゃんが何者で、どんな編曲をしたのか期待に胸膨らませて手にしたのではない。

 解説を読まずに、まずは聴いてみる。
 おぉ!ラヴェル編のトランペットによる出だしに慣れている私にとっては、うぎゃぴ~と意表を突くヴィオラのソロ。  
 「うわっ、失敗したか?」と緊張と自己嫌悪感が走ったが、なんとなくホワンとしているところはなかなか魅力的。ラヴェルと比較するとダメだが、新たな音楽として聴く分には面白い。どことなく日本的な響きもする。
 一通り聴き終わったあと解説を見ると、ジュリアンちゃんはリーさんなわけで、中国の作曲家。そっか、日本風じゃなくて東洋風だったんだ。すぐ感づけよ、このニブニブちゃん!(私のこと)。

 解説の中で、ジュリアンちゃんは「たいがいの作曲家はこの曲を重厚すぎる音に仕立て上げてしまってその持ち味を損なっていると感じていた」と書いている。ついでにジュリアンちゃんは曲の中に中国の民謡を散りばめるといういたずらもしているらしい。お茶目なリー……

 全曲の中では、カノン風に進む「古城」がとりわけ新鮮だった。
 また、ラヴェル編では省略されている「リモージュ」の前の「プロムナード」も、原曲どおり置かれている。

 もう一度書くが、ラヴェルによる編曲をいったん忘れて聴くこと。ラヴェルのイメージを引きずらないで聴くと、色鮮やかな幻想世界にいるような気分になれる。

 この曲の演奏では岩城らしさが発揮されているかどうか私にはわからないが、カップリングされているプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)の交響曲第1番ニ長調Op.25「古典交響曲」(1916-17)は、良くも悪くもまさしく岩城らしい演奏。
 シャープで現代的な演奏で、聴く者を引き込む。が、終わった後は案外残るものがないというところが。聴き手は岩城と一緒に熱くなってしまい、そのあと燃え尽きちゃうのだろうか?

 とはいえ、私が音楽を聴いてきた歴史において、岩城宏之はとても重要な指揮者だった。
 彼が指揮するN響の演奏をTVやFMで聴き、憧れていたその人が札響の正指揮者に就任し、それまでのドイツ物中心のプログラムから札響のレパートリーは大きく広がった。そして、私にとっても鑑賞レパートリーが広がっていった。
 岩城の前の常任だったP.シュヴァルツが少年期の札響を育てたとすれば、岩城は札響を大人にしたと言える。

 たぶん保守的な聴衆の中には少なからず岩城のプログラムに反感を持った人もいるだろう。 でも、あれがなかったら札響はなかったといえる。

 岩城は最終的に札響の終身桂冠指揮者に就任したが、事実上札響を去るときにはあまりハッピーな関係じゃなかったようだ。私には詳しいことはわからないが、聴くところによると岩城とオケとの間でかなりの溝が生じていたようだ。 

 たぶん、1988年に定期演奏会が1回吹っ飛んでしまったのも、そういう背景があったからではないだろうか?
 この年の11月の定期演奏会は第297回目となるはずだった。
 ところが、どういう経緯かは知らないが、この演奏会を岩城の第19回サントリー音楽賞受賞記念コンサートに当てようという動きがあった。
 これに楽員が反発した。なぜ定期演奏会を岩城の受賞記念コンサートにしなければならないのか、ということだったらしい。
 結局11月のこの日の演奏会は岩城指揮による“特別演奏会”となった。
 第297回定期演奏会は翌12月に行われた(指揮は秋山和慶)。11月は定期演奏会がなくなったのだった。

 このCDのジャケット写真を見ると、「札響を日本のクリーヴランド管に」と意気込んでいた当時の岩城を、終演後ステージの上で全力を出し切ったという満足げな表情を見せた岩城を、私は思い出す。

 このCDは2003年録音。ワーナー。

ec4e1e5f.jpg  ところで岩城は大のアスパラガス罐詰好きだったという。

 彼のエッセー、「棒ふりの休日」(文春文庫:1982)のなかの「再びアスパラガスに寄せる想い」では、「いかにぼくがアスパラガスの罐詰が好きか」ということを書いたあと、「CRADLE、アヲハタ、あけぼの、明治屋、まるは、日水、K&K、SANYO、デルモンテ、リビー、ホクレン、トーメン、こけし、雪印、仁丹、ノザキ、SMC、FFK」と列挙し、これが日本で販売されているアスパラガスの罐詰の全ブランド名だと披露している。

 そして「CRACLE-クレードルは実にうまい。まちがいなしに、世界一だ。日本でのシェアが70パーセントだそうで、わが国民のものの味わい方が非常に正しいと、大いに嬉しい。……クレードル以外では、まるは、日魯、ホクレンが大手だし、美味である」と賞賛している。

 道産子の私にとっては、クレードルもホクレンも北海道の企業であるし、日魯にしても最初に本社が置かれたのは函館なので、うれしく思う。
 が、最初に岩城が列挙していた18社のなかに日魯は入っていないような……

 いまや中国産の安価なホワイトアスパラガス缶に押され、北海道産の美味しいアスパラ缶はほとんど手にできない。
 こんなことでいいのかねぇ、と思ってしまう。
 岩城が「わが国民のものの味わい方が非常に正しい」と喜んでいた時代は、遠い過去のことになってしまった。
 が、今ならまだ間に合うと思うのだが……