61556da3.jpg  再び札響の50年史に付いていたCDについて。

 このなかのショスタコーヴィチの交響曲第5番(第4楽章)については数日前に触れたが、このCDには以下の演奏が収められている。

 ・ 荒谷正雄指揮 モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲
            1961年9月6日 第1回定期
 ・ P.シュヴァルツ指揮 ワーグナー/「ローエングリン」第1幕への前奏曲
            1974年3月15日 第136回定期
 ・ 岩城宏之指揮 武満徹/マージナリア
            1976年12月22日 第166回定期
 ・ 秋山和慶指揮 ドビュッシー/「管弦楽のための映像」から「イベリア」
                     ~夜の匂い、祭りの日の朝
            1999年1月22日 第409回定期
 ・ 高関健指揮 コダーイ/「ハーリ・ヤーノシュ」から
                     ~間奏曲、皇帝と延臣の入場
            2010年10月30日 名曲シリーズ
 ・ R.エリシュカ指揮 ドヴォルザーク/序曲「謝肉祭」
            2010年4月17日 第528回定期
 ・ 尾高忠明指揮 ショスタコーヴィチ/交響曲第5番第4楽章
            2011年5月23日 創立50周年ロンドン公演

beb4543a.jpg  このなかで私が実際に生で聴いているのは、シュヴァルツのワーグナーとエリシュカの「謝肉祭」である。

 エリシュカが指揮した序曲「謝肉祭」は、このCDで聴くと祭りでみなが活気づく雰囲気と郷愁をそそる場面との表情の使い分けが見事でなかなかな演奏。しかし、生で聴いたときにはあまりノリが良くなく感じた。
 収録日をみると4月17日とある。私がホールに足を運んだのは4月16日のA日程の方。ということは、2日目のB日程の方がかなり“こなれていた”ことになる。

 シュヴァルツのワーグナーは、まだ若き、というよりも、まだ声変わりさえしていなかった私が、札響の存在を知り、母親になんとかチケットを買ってくれと執拗にお願いし、聴きに行くようになったころの演奏。

 73年12月からの4回シーズン券を買ってもらったのだが(当時は定期会員のことを“友の会会員”と呼んでいた。ふとんなど寝具の頒布会会員のようだ)、C席で1,200円。1公演当たり300円だった。たぶんあのころはコカ・コーラのホームサイズ、あるいはペプシ・コーラのファミリーサイズの値段が100円だったと思うから、コーラ1500ml分の金額でコンサートが聴けたわけだ(瓶の保証料10円はこの際考えない)。

 そしてまた、そのころはこのワーグナーの曲についてもどこがいいのかさっぱりわからず、いわゆる退屈な曲って感じたものだ。この日の演奏、記憶に間違いがなければ、予定されていたプログラムでは「第2幕への前奏曲」となっていて、当日訂正されたはずだってこと。
 CDでいま聴いてみると、まだ若かった札響もなかなか頑張って演奏していたなってこと。ドイツ物だから、シュヴァルツにだいぶ特訓されたのだろう。そして、私もまだすっごく若かったんだな、というよりも、ひどくひどく遠い日のことになってしまったと、人生とは?と考えてしまった。

 ここに名前が出てくるどの指揮者も札響に大きな功績を残してくれた、あるいは残してくれているが、地味ながらも秋山和慶の存在も大きかった。知られざる名曲を取り上げてくれたのも嬉しかった。

 昨日、ある場所の天井から流れてきた音楽はエルガーの「エニグマ変奏曲」。この曲、どういうきっかけか知らないけど、今ではけっこう有名曲になり、そのなかの一部の楽曲はアンコール・ピースとしてもしばしば取り上げられるほどだが、秋山が定期で取り上げた1980年代後半は、まだそんなに聴かれている曲ではなかったし、札響関係者でもないのに私は「このプログラムで客が入るのかなぁ」と心配したものだ。
 偶然にも私は大学生のころにこの曲をFM放送によって知っており、そのちょっと陰鬱な雰囲気が自分の性格にマッチしていたので、それを生で聴けるというのはとてもうれしく、また感動的な演奏だった。

 何度か書いているようにグリエール(Reingol'd Gliere 1875-1956 ロシア)の交響曲第3番ロ短調Op.42「イリヤ・ムーロメッツ(Il'ya Muromets)」(1909-11)を定期で取り上げてくれたのも秋山だった。この機会がなかったら、私は今でも「イリヤ・ムーロメッツ」を聴かないままだったかもしれない。

 この曲は全編にわたって暗い、というよりも深い悲しみに覆われている感じだ。
 オーケストラ全体が力強く叫んでも悲しさは消えない。まるで伊福部昭の音楽のように。
 伝説上の英雄イリヤの冒険譚を扱っているのだが、かっこよく立ち振る舞うというよりも、己の運命を恨みながら戦を重ねているかのようだ。
 だから聴き終ったあとも「やったぜ!」というような爽快感はない。キュンとした余韻が胸に残る。

 この曲をしつこく取り上げているが、しつこく取り上げる価値があると思うので、私はしつこいおじさんのようにしつこくなっているのだ。

 まだ聴いたことがない方には、ぜひともお薦めしたい隠れた名曲だ。

 これまで、腐ってしまったCDとオーマンディ盤を紹介してきたが、今日はヨハノス指揮チェコスロヴァキア放送交響楽団による演奏を。
 全曲の演奏時間は74分ほど。日本語による“帯”によると「本盤にカットはありません」ということだ。
 ヨハノスという指揮者がどういう人なのか私は知らんどスが、とても丁寧に音楽を作り上げている感じがする。その丁寧さが、この曲の持つ切なさを美しく歌い上げている。
 1991録音。ナクソス。
 
 最近グリエールが続いてますが、特に深い事情はありません。

 今朝の食事はホテルの部屋でかつおのおにぎりとNISSINの“SOUPワンタン 鶏ガラ醤油味”。
 昨夜、このワンタンにするか、いつものようにマルちゃんのワンタンにするか大いに迷ったが(価格は同じ105円)、「厚み実感 もっちもち食感」という文字にひかれてNISSINのものにした。
 食べてみて、確かにもっちもち食感だ。が、マルちゃんのワンタンの中に入っているわずかな肉のかすかな食感がこちらにはなく、やっぱりマルちゃんにすべきだったと、私は朝から大いにがっかりしているところである。