9b02f692.jpg  マーラーの交響曲の難しさについて、小澤征爾が次のように語っているくだりがある。
 あの村上春樹との対談集「小澤征爾さんと、音楽について話をする 」(新潮社)の中でである。

 とくにね、7番と3番がそうだな。このふたつはね、やっていてもね、相当集中してしっかりやらないと、途中で溺れちゃいます。1番はよし、2番もよし、4番もよし、5番もよし。6番がね、ちょっとあやしい。でもまあこれもいい。ところが7番がね、これ問題です。3番もあやしい。8番になると、あれはもう巨大だから、なんとかなる

 そうか、なんとかなるのか……
 素人が思うに、巨大だからなんとかならないような気がするが……

 その小澤征爾が振ったマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第8番変ホ長調(1906)。オーケストラはボストン交響楽団。1980年の録音だが、その録音期間は10月13日から11月4日と長きにわたっている。

 ご存知のように、マーラーの第8交響曲は「千人の交響曲(Symphonie der Tausend)」と呼ばれる。それぐらいの演奏者が必要だからだが、あらためて書くと、独唱陣はソプラノ3、アルト2、テノールとバリトンとバスが各1。合唱は2群の合唱と児童合唱。
 また、通常のオーケストラの編成では使われないオルガンとハーモニウム、複数のマンドリン、ピアノも加わる。

 この曲で私が最初に聴いたのはショルティ/シカゴ響のレコード。
 あの有名なすさまじい迫力の録音である。優秀なデッカの録音といえども第1部の終りであまりの大音響で音が割れるなど、とにかく「音の嵐」というイメージを強烈に抱かせられた。
 逆に、そのあとの第2部は第1部に比べるとちょっと退屈だなという印象を持っていた。

 しかしその後、私の頭に刷り込まれたショルティの演奏以外のものも多く聴くようになり、そしてまた自分も少しは大人の感性が身についたのか、交響曲第8番の神髄は第2部にあると確信するようになった。私にとって、ショルティ盤ではそれは気づけなかったことである。

 そして小澤の演奏。
 彼の特徴であるあっさりめの、例えて言うなら“和風ノンオイル・ドレッシング(青じそ)”テイストみたいな演奏である。意地悪な言い方をすれば、物足りない。
 が、不思議なことに、それが第2部においては透明美が私の心に、あたかも疲れ目のときに目薬をさしたときのようにしみてくる。はったりのない宗教的な神秘の世界が描かれる。
 これはなかなか感動的だ。
 
 マーラーの交響曲はどれも大きなオーケストラ編成が必要だが、実は各交響曲を見渡してみると、大音響というよりも室内楽的に鳴る部分が非常に多い。
 よく考えれば第8番だってそうなのだ。「千人」という言葉に惑わされて最初から最後まで大きな音だというイメージが知らず知らずのうちに植えつけられていた。これまで何回も何十回も聴いているのにも関わらず。
 小澤の演奏は、ラトルの演奏に私が感じたものに似ている。
 美しく物語が進行していくのだ。

 にしても、ホントになんとかなるんですか?

 昨日のN響アワーでこの曲をやってましたけど、楽員の方々は大変って言ってましたし、デュトワも平気だとは言っていませんでしたが……