50530c35.jpg  昨日1月20日、19:00~。Kitara

 私にとっては札響定期に足を運ぶのは8月の定期以来。
 、いつもオーディオからの音ばかりを耳にし、コンサートで長らく聴かずにいると、ともすれば生の音が遠くて物足りなく感じてしまうことがあるが(ボリュームを上げたくなる)、幸いこの日はそういういけない感覚には襲われなかった。

 指揮はサッシャ・ゲッツェル、ヴァイオリン独奏は神尾真由子。

 プログラムはハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲とベルリオーズの幻想交響曲。
 どちらも私のお好みの曲。

 ハチャトゥリアンのコンチェルトは、最初にヴァイオリンが低い音で登場するその力強い音が、粗いというか汚く、これは何か変だと、この先どうなるのかと焦った(私が焦ることはないんだけど)。その後もソロ・ヴァイオリンの音程は安定しなかったが、第1楽章のカデンツァからそれまでがまるでウソのように安定し、見事な技術と音楽性が披露された。第2楽章などの超弱音も実に美しかった。
 オーケストラもすばらしい演奏。

 休憩をはさんで「幻想交響曲」。

 ゲッツェルの演奏はどこの部分でもねっとりと引きずるようなことはなく、キビキビと進んでいく。それは小気味よいが、場面によってはもう少し歌い回して欲しいと思うところもあった。
 なお、第1楽章の提示部は反復したが、最近の録音で多くなってきた第2楽章のコルネットの助奏や第4楽章のリピートはなし。
 楽器の配置では、第3楽章冒頭のイングリッシュホルンとオーボエの掛け合いで、オーボエを2階の客席に配置し、また同じく第3楽章終わりの雷鳴を表わすティンパニ(4奏者による)のうちの2台(2奏者)を舞台の上手と下手に置いて、距離感を出していたが、これはうまい方法だと思った。
 その配置とは直接関係ないが、私がこれまで聴いてきたどの幻想交響曲の演奏より、第3楽章終わりのこのティンパニが“遠くからの雷鳴”らしく聴こえた。

 鐘の入りも完璧。そして全体を通じてオケも高い水準の演奏を聴かせてくれた。
 意外だったのは、曲の閉じ方。最後の一音はフェルマータせず、つまり音を伸ばさないで閉じられた。これは慣れてないこともあって、尻切れトンボのように感じた(あくまで私個人の慣れの問題。それがおかしいとか悪いという意味ではない)。 
 
d0b4dd61.jpg  ところで、ハチャトゥリアンヴァイオリン協奏曲
 今日はシェリングの独奏、ドラティ指揮ロンドン交響楽団のCDをご紹介。

 実はこの演奏こそ、学生のときに彼女に傷つけられたLPの演奏なのである。

 ねちっこく表現過多にロシアロシアと歌い回すのではなく、直球の多い配球。ところが、これがまったく非ロシア的なんかではなく、かえってロシア的。メソメソなんてしていない、毅然たる演奏。喜びも哀しみも雄大なる露西亜よ!
 この曲の歴史的名盤と言ってもよいだろう。

 いまこれを聴くと、LPに傷をつけられて心の中でメソメソした自分が恥ずかしい。いや、でもあのときはホントに心も傷ついたからな……

 1964録音。タワーレコード・ヴィンテージコレクションの1枚。原盤はマーキュリー

 さて、わたくしごとだが(ここでわたくしごと以外のことを書いたことはないと思うけど)、このたび転勤することになった。

 このブログを始めたころは東京にいた。
 その半年後に現在の札幌勤務となり、長いことに4年間も居座ってしまった。
 今度の勤務地は豚丼の街である。

 これまで楽しいことをしてくれて記事をにぎわしてくれた仕事関係の方々、また飲食店業界の人々とは少し物理的距離が開いてしまい、登場回数も減ることだろう。
 でも、キーワードは「伴」。いや違った「絆」。
 今後ともよろしくお願いいたします。コメントの投稿も手を抜かずにお願いしますね!

 もともと物理的距離がある読者の方々も、引き続きよろしくお願いいたします。

 引っ越しなどでバタバタするので、当面は内容の薄い記事になるかもしれませんが(当初から薄いという説もある)、ピザだって生地は薄い方が美味しいぐらいだから(個人的な好みですが)、そこはお許し願いたいもんです。

 あと、昨日判明したアイゼン氏の苦悩と、私の名をしょっちゅう悪用していることが判明した事実についても、後日取り上げなくてはならない。