ef25cdd2.jpg  毎冬思うことではある。

 朝、歩道を駅に向かう歩道。その角々にある雪山に、見事なまで鮮やかなイエローを呈した箇所が無数にある。無数というのはほんとは嘘だが、数えられないくらいたくさんある。

 そう。心無い人が黄色の蛍光マーカーのインクをぶちまけていったのだ。

 なわけがなく、それは犬のお小水の痕跡である(ただし、そうに間違いないとは言い切れない。中にはヒトのものが混じっている可能性はけっこうある)。

 それにしても、ずいぶんと犬を散歩させている人がいるものだ、あるいは人に散歩させられている犬がいるものだと感心してしまう。

 そして、これは前にも書いたと思うが、その色が驚くほどの鮮黄色なのだ。少なくともふだんの私の聖水、いや小水(罰当たりなことを書いてすいません)は、ここまで濃く鮮やかな色はしていない。あるとすれば、“け〇き”や“白〇山荘”のラーメンを食べたあとや、パブロンやリポビタンDを飲んだあとに、そのような現象があるくらいだ。

 最近の犬は散歩前に“朝ラーメン”を食べる習慣があるのだろうか?
 それとも、体力がないから散歩前にリポビタンでも飲むのだろうか?
 あるいは、たまたま今次期、風邪をひいて薬を飲んでいる犬が多いのだろうか?

 そうではなくて、もしそれが普通色なら、どうして汗もかかない犬の尿はそんなに濃いのだろう?

 いずれにしても、私が言いたいのは、足を滑らせてそんなところへ顔を突っ込む羽目になったら悲劇的だってことだ。

 1991年、テンシュテットがロンドン・フィルを指揮したマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調(通称「悲劇的(Tragische)」)(1903-05/改訂'06)。

 同じくこの組み合わせの第7番のライヴで唸ってしまった私。そして、その延長線上的欲望で、先日いてもたってもいられなくなって購入した。

 確かにすごい緊張感に満ちた演奏。恐ろしいくらいだ。いろんな意味で、こんな演奏はそうそうない。単に「すばらしい」の一言では終わらせられないオーラを放っている。

 ライヴということもあるだろうが、アンサンブルは決して緻密とは言えず、楽器間のバランスだって良くはない。それだけ取り上げると、むしろ褒められたものとは言えないくらいかもしれない。
 しかし、ここには何かもっと別な次元で聴き手の心をつかむものがある。

 そういう意味では同じライヴでも小澤の第5番とは対照的だ(曲も違うけど)。

 どちらが優れているというわけではない。が、テンシュテットのこの6番の演奏は、上手いとか整っているとか、そういうものを超越している。

 聴いたあと残るのはどっとした疲れ。そして、深い感動である。

 なお、タワレコのオンライン・ショップでは、このCDについて次のように書かれている。

 テンシュテットの遺産とも言える1991年の奇跡的なライヴ!
病魔に冒されたテンシュテットが一時的に再起して指揮台に上った際のライヴ演奏です。まさに遺産と呼ぶにふさわしい録音で、「悲劇的」な運命に打ち倒される英雄に、なおも生命を吹き込もうとするテンシュテットが、ディスクの中では今なお息づいています。この漲る迫力は壮絶! 2010年07月30日 (発売・販売元 提供資料)


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