来週の月曜日、4月9日。シクシクの日。
 それは私が人間ドックを受ける日でもある。

 わが社では年に1度のドックの受診料を負担してくれる。たいへんありがたい制度である。この際だから、ついでにNHKの受信料も負担してくれればいいのにと思うのだが、どうやらそのことについては検討項目にもあがっていないようだ。私のような甘え過ぎの社員の気持ちも少しは気にしてほしいものだ。

 昨年私がドックを受診したのは5月31日だった。あのときは前年に引き続いて「膵管が太くなっとるやないけ!けしからん!」と、身に覚えのないことを非難され(少なくとも私は意識していなかった)、2年連続で悲しい思いをするとともに、2年連続で再検査のために散財してしまった。

 いずれにしろ、あれからまだ丸1年経っていない。
 それなのに受けてもいいのだろうか?決まりでは1年はあけるようになっていたはずだ。

 結論から言えば、概ね1年経過していればいいんだそうだ。
 とすれば、だ。
 来年は、2月のMy birthdayに受けてみようか-記念受診だ-と、素敵なアイデアが浮かんだが、寒い季節に受けに行って、帰りに心筋梗塞で倒れたなんていうのはシャレにならない(いえいえ、あくまでドックの“正常”というのは統計学的データに基づいて判断しているのです。個体差はあるのです。たとえば心電図が“正常”であっても、絶対心臓病で死なないと保証しているわけではありません。実際、そのようにドックの数日後に亡くなった方の例もあります」と、私の死後、理にかなった説明がなされるであろう)。
 そうならないまでも、誕生日に重大な疾病が発見されるのは意外と好ましくないことだろうから、やっぱりそういう無邪気な考えを起こすのはやめることにした。

 ドックのご案内封書の中には、検便キットと何枚かの問診票が入っている。

 検便キットは忘れないように、いちばん目につきやすい食卓テーブルの端あたりに置いておくことにした(言っておくが、もちろんまだ未使用のものだ)。そして、まずは問診票を記入することにした。

 全般的な内容について私にお尋ね申す問診票の中に、「ふだんの食事の量はどれくらいか」という問いがあった。
 つまり、朝昼晩それぞれに、ご飯を何膳食べるかってことだ。

 朝は1膳と書いた。

 難しいのはそのあとだ。
 褒められたこととは思っていないが、毎晩お酒を飲む私は、結果的にご飯ものを食べ(れ)ないことが多い。
 となると、なんて書けばいいのか?
 「ご飯を食べないことが多いのですが、寝るまで間食しています」っていうのが、いちばん実態に近い表現に思える。

 あるいは昼。
 たとえばチャーハンを食べることを想定したとき、これは何膳と答えるべきなのだろう?

 永谷園の“五目チャーハンの素”の作り方をみると、1人前のメイン材料として、“ご飯茶碗に軽く2膳分”と書かれている。つまりチャーハンの1人前はだいたいにして茶碗2膳分のご飯を要するということになる。

 とすれば、この場合は2膳と書くべきなのだろうか?それとも摂取したチャーハンはあくまで1人前だから、1膳(正しくは“皿”)と記入すべきなのだろうか?
 同じように、ご飯の量が明らかに茶碗1膳分以上あるカレーライスや親子丼、ラーメンライスなどはどのように判断すればよいのだろうか?

 ところで私は、日々の食事は基本的にご飯ものである。和人なのだ。
 だから関係ないが、問診票にはご丁寧にも“ご飯以外の方は具体的にお書きください”とある。
 ここに、たとえば、“ナン2枚”なんて書いたら、栄養士さんとか看護師さんはどう判断するのだろう?
 ということを、考えながらも記入終了。

 さて、問題は前立腺に関する問診票だ。

 問) 若いときに比べて、おしっこが出始めるまで時間がかかるようになりましたか?

 そもそも、“若いとき”という表現が漠然としていて問題がある。85歳になっても「わしゃ、まだまだ若い」と豪語している老人が見たら激怒しそうな文章である。
 それに、私だってこの問いには答えにくい。なぜならば、そのときによる、からだ。
 あんまりしたくないけど念のためにしておくか、というようなときにはなかなか出なくて絞り出すような気構えが必要だし、時間もかかる。

 一方で、ビールを調子に乗って飲んでるときに行きたくなり、行ったはいいがトイレが混んでいて苦悶の表情を浮かべながらじっと待ち(こういうとき、どうして私の前に入った人は、なぜ永遠と思えるくらいなかなか出てこないのだろう?)、やっとあくや否や便器に駆け寄り、焦りながらチャックを開け排水器官を外気にさらしたときには、漏水まであと1秒だったというくらいすぐに出るのだ。
 だから、そのときによる、のだ。
 
 問) 若いときに比べて、おしっこの出始めから終わりまでの時間が長くなりましたか?

 長くなったような気もするが、これもそのときによる。
 ただし、小学生よりは確実に長くかかる。

 前にどこかのスーパーのトイレでおしっこをしていたら、となりの小便器に小学生(低学年だ)がタタタタタッと駆け寄って来て、半ズボンをおろし、若竹のようなものを出すや否や一気におしっこをし(この子と比べると、日々の私は確かに出始めまで時間がかかっている)、あっという間に若竹をしまって、タタタタタッと走り去って行ったことがある。この一件を考えると、私は若いときよりもおしっこの時間を要すると帰納法的に結論づけざるを得ない。
 ただし、小学生というものは、それが低学年なら特にありがちなのだが、ちゃんと仕上げのフリフリをしないでぱっと若竹をパンツに収めてしまうものだ。そして、パンツを濡らしてしまうのだ。
 私が小学校1年生のときに仲良くしていた千葉君はパンツどころかズボンにまで収納後の残尿がしみ出していて、しかもそれが乾燥すると強烈な刺激臭を放っていたものだ。
 あの小学生も、もしちゃんと出終わるまで立ち去らなかったとしたら、私だって互角に戦えたかもしれない、という可能性は残っている。

 こんなことを書いていたら、ある楽器……ファゴットが頭に浮かんだ。

 いや、あの立った筒の様子からとかではなく(そんな連想、浮かびもしなかった!)、ファゴットが得意とする飛び跳ねるような音の動きが、あの小学生のタタタタタッっと重なり合ったからだ(えっ?もうエープリール・フールは終わったって?……)。

 ファゴットはダブルリードの木管楽器で、バスーンとも呼ばれる。
 ただし、現在では少数派となっているフランスの“バッソン”(「のだめカンタービレ」で、バッソンにこだわる奏者がオケのオーディションを受けに来ていた)は、ドイツ式のファゴット(バスーン)と呼ばれる楽器よりもメカニズムが単純で、音程がとりにくい。
 また、バッソンは音量が小さく、そのためバッソンで吹かれることを前提に書かれたフランスの楽曲、たとえばベルリオーズの「幻想交響曲」などでは(本来のバッソンの音量を考慮し)ファゴットのパートは他の木管楽器よりも多い4本を使用するようになっている。

574c8e32.jpg  さて、ファゴットを独奏楽器とした協奏曲の中で最も良く知られているのは、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のファゴット協奏曲変ロ長調K.191(186e)(1774)だと思われる。

 このコンチェルトはモーツァルトが18歳のときに書かれたが、作曲の経緯はよくわかっていない。
 ファゴットが持つちょっとおどけたような音色が、モーツァルトの他の管楽器のための協奏曲とは違った世界を繰り広げる。
 なお、この作品については以前に書いた記事も参照していただければと思う。

 今日はモレッリのファゴット、オルフェウス室内管弦楽団による演奏を。
 指揮者を置かないオルフェウス室内管だが、この演奏、どれも高い水準である。

 一緒に収録されている、クラリネット協奏曲(独奏はナディッヒ)、オーボエ協奏曲(独奏はヴォルフガング)のいずれも名演。
 ちなみに、モーツァルトのオーボエ協奏曲は、「のだめ」で同じくオーディションを受けた黒木君が吹いていた曲である。

 ちなみにタワレコ・オンラインショップに書かれている、このCDの紹介文は ↓ 。

 完璧なまでのアンサンブルの数々
 透明で孤高な抒情性を深い精神的な静けさのなかで表出した晩年のクラリネット協奏曲、精緻で諧謔的な意匠で編まれたファゴット協奏曲、そして生彩に富んだ輝くばかりの作品で後にフルート用にも編曲されたオーボエ協奏曲。そんなモーツァルトの木管協奏曲を収めた1枚です。指揮者を置かないオーケストラとして知られるオルフェウス室内管弦楽団の首席奏者たちがソロを務めており、完璧なまでのアンサンブルを披露しています。


 1987録音。グラモフォン。

  ところで、前立腺検査ってオプションじゃなかっただろうか?
 なら、書かなくてもいいのかな……

 さて、採便は検査の4日前からOKだ。
 そろそろスタンバるか……