c6594751.jpg  風俗嬢の死と、その背後にある恐ろしい組織。社会の暗部……

 宮部みゆきの「夢にも思わない」(角川文庫)で描かれている世界だ。

 この小説は、10日ほど前に紹介した「今夜は眠れない」の続編となるものだが(ストーリーではなく登場人物が)、タイトルの通り、夢にも思わなかったことが終わり近くになって起こる。

 宮部のストーリーに読者を引きつける技はさすがだ。しかし、宮部作品としてはストーリー構造はさほど入り組んでいないところと、主人公の中学生のほのぼのとした恋愛の描き方がどのような読者を対象にしているのかが(特に年齢)はっきりしない。それによって私は、なんとなく甘ちゃんな印象を受けた。
 宮部がここで訴えたかったのは、こういう裏社会があるのだ。その悪の存在を叩き潰したいということだろうが、その点では彼女のほかの作品と共通する精神がある。
 いくら聡明とはいえ、主人公の親友の中学生があそこまで状況を推測するというのは現実離れしているように思えたが……
 
 これを読んで思い出したのが、物語の性質はまったく異なるが、同じく風俗嬢が出てくる村上春樹の「アフターダーク」(講談社文庫)だった。
 この小説が面白い、というよりも、村上作品としては珍しいのは、“僕”という主人公が出てくるのではなく、カメラの目を通じて見ているという書き方があるところだ。「私たちは見ている……」という表現である。
 
a2d2cf85.jpg  カメラを通じて……ペトレンコが指揮したショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第11番ト短調Op.103「1905年(The Year 1905)」(1957)を聴いて、そんな感じのアプローチだなぁという感想を持った。
 「私たちは革命について書かれたものを読んでいる」……。
 書き残されたものはスコアであり、スコアを読んだペトレンコはいたずらに情に溺れたり、この事件に対する個人的な感情を押しつけるのではなく、あくまで「このような悲惨な事件がありました」と、報道的、決して古舘伊知郎的ではなくNHKニュース的に、聴き手に伝えてくれるのである。
 そこには「この悲惨な事件を私たちは永遠に忘れてはなりません」という、キャスターが押し付けてきがちななメッセージも排除されているように思える。

 この作品の内容については、前にハイティンク盤ヤンソンス盤を紹介したときに詳しく触れているのでここでは書かないが、1905年の第1次ロシア革命を標題としており、4つの楽章には「宮殿前広場」「1月9日(血の日曜日)」「永遠の記憶」「警鐘」というタイトルがつけられている。
 また、曲中には民謡や革命歌の多くのメロディーが用いられている。

 上に触れたように、11番においてもペテレンコは、第3番第10番などの演奏と同じく、クールに曲を進めて行く。聴き手を興奮させようとあおることもないし、お涙頂戴とばかりに悲惨さを強調することもない。レンズを通して客観的にこの作品の実体を映し出している。その結果、この作品が持っているなかなかわかりにくいすごさを、逆にわからせてくれる。

 作曲者が生まれたのは1906年。つまり、この革命はショスタコが生まれる前の年の出来事だ。ショスタコもこの事件を実際に体験しているのではない。あとから当時のことを見聞きし書き記した音楽だ。その時点で“記録”に他ならないのである。
 とすれば、ペトレンコのようなアプローチは実に理にかなっている。

4f1549fe.jpg  とはいえ、無味乾燥なのでは決してない。
 不穏さや怒り、恐怖といったものは十分に表現されている。音もとても美しい。
 感動的だ。

 村上春樹の「アンダーグラウンド」(講談社文庫)は、地下鉄サリン事件に巻き込まれた人たちに事件当時のことを聞きとったインタビュー集である。そこには、事件そのものについては書かれていない。村上春樹も事件のときには海外にいた。そして、人々は感情を荒げることなくの村上春樹の問いに答えていくが、かえってそれが、この事件の救いようのない痛々しさを読み手に感じさせる。

 ペトレンコが振るショスタコの演奏にはこれに通ずるものがあるように、私は感じる。

 それにしても、ペトレンコ、これまでのところ私の期待をまったく裏切らない。
 こんなことは珍しい。
 これからがとてもとても楽しみな指揮者だ。
 オーケストラはロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団。
 2008録音。ナクソス。
 なお、品薄なのか、私は注文してから手元に届くまで1か月かかったことを申し添えておく。

 おとといの記事で、今年の雪解けが遅いことを書いたが、「夢にも思わない」の最後はこう終わる。

 そう。春はまだ、遠い先のことだ。

 いえ、だから何ってことはないんですけど……