昨日の記事で、ケーゲルが振るショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏で、曲の最後に本来スコアにはない鐘が鳴らされることについて触れた。しかも浮き浮きに。

 で、日本国民なら周知の事実であるが、鐘を鳴らすのはあなたである。
 いや、これを読んでいるあなたのことではなく、和田アキ子の往年の大ヒット曲の話である。

 で、私のところに次のようなメールが届いた。

 和田アキコさんより【あの鐘を?鳴らすのはあな?た?!!アッコやで。私の事はもちろん知ってるよな?知らんて言うたら怒るで。実はあんたに頼みがあってメールしたんよ。私周りの人間に色々な呼ばれ方してるけど、業界のご意見番って呼ばれてるの知ってるか?】

 なんというか、全身の力がすっかり抜けきってしまうような、送信者のユーモアが空回りした文やで。
 しかも単なる間違いか、あるいは本人の怒りを恐れてのさりげない改変なのか不明だが、“アキ子”ではなく“アキコ”となっとるんよ。

 かかわると無理難題を押しつけられそうなので放置しておいたのだが、さすが和田アキ子、これで引き下がらず、第2弾が送られてきた。

 和田アキコさんより【あんの頃わ?はっっ!!アッコやで。これだけでわかるやろ?ゴッドね?ちゃんって言った方がわかるか?いきなりのメール失礼するで。実はな業界のご意見番としてあんたに頼みがあってメールしたんや。ええか?まずは軽い感じでええから話きいてくれるか?】

 なんかこのつまらないセンスに、痛々しさを覚えてきた。
 アホやなぁ。ところどころに?が入るという文字化けも起こっているし。

 ゴッドね?
 ちゃんと言った方が

って、神と子連れ狼との間に何があったのかと思った。

 で、実はこの長い文はあくまでもタイトル。
 本文はというと、

 y7oL>!y(B$B$"$s$N:"$o!A$O$C$C!*!*%"%……って具合で、文字化けしてやんの。「ええか?」って言われも、「いや、い、痛い」って答えたくなるやんけ。
 しっかし、読めなくて残念だなぁ。軽い感じで話を聞いてあげようと思ったのに……

b2d2ff02.jpg  さて、ファリャ(Manuel de Falla 1876-1946 スペイン)のバレエ「恋は魔術師(El amor brujo)」(1914-15/改訂1915-16)。ケーゲル版ショスタコ5番のあと味の悪さとはまったく対照的に、全曲の終りで鳴る鐘の音が実に効果的で前向きな気持ちになる。

 ファリャは1907年にパリに出て印象主義の作曲家と交流。その結果、民族主義と印象主義を結びつけた洗練度の高い独自の様式を確立した。スペインっぽいんだけどオサレなのだ。

 「恋は魔術師」の筋は、

 情熱的な女カンデラは愛した男が死んだあと、別な男カルメロに恋した(カリメロでないのが惜しい気がしないでもない)。しかし、死んだ男の幽霊がこの恋を邪魔するので、若い女ルシアと幽霊が恋に落ちるように画策、その結果2人は結ばれる。

というもの。

 「あ、そっ!だから?」というなかれ。気持ちは重々わかるが……
 私なんかは、その若い女は嫌じゃなかったんだろうかと、ずいぶんと気になったものだ。加えて、三東ルシアはその後何をしているのだろうかと思った(って、調べたらまだご活躍中で何よりです)。

 第1稿は2景から成っていたが、改訂稿は1景13曲から成る。

  1. 序奏と情景
  2. 洞窟の中で(夜)
  3. 悩ましい愛の歌
  4. 亡霊
  5. 恐怖の踊り
  6. 魔法の輪(漁師の物語)
  7. 真夜中(魔法)
  8. 火祭りの踊り
  9. 情景
 10. きつね火の踊り
 11. パントマイム
 12. 愛の戯れの踊り
 13. フィナーレ(暁の鐘)

 この中では「火祭りの踊り」が非常に有名だが、それ以外の曲も、どれもが、とは言わないが楽しめる音楽が続く。終曲の「暁の鐘」は、何となくめでたしめでたしという雰囲気が伝わってきて、さわやかな気持ちになる。

 CDは、デュトワ指揮モントリオール交響楽団、トゥランジョーのメゾ・ソプラノを。
 もともと多彩な音色あふれる音楽だが、デュトワのこの演奏はそれを十分に堪能できる。
 1981録音。ロンドン(デッカ)。

 そういえば、だいぶ前にベルギーに出張したときの朝、あちこちの教会からやかましいくらい鐘の音が鳴り渡ってきて、そのときがいちばん「ヨーロッパにいるんだなぁ」と感じたものだ。
 日本に来た外国人が寺から聞こえる鐘の音を聞くと、「あぁ、ワタシ、ニポンにいるのネ」って感じるんだろうけど。

 すがすがしい暁の鐘の音は鳴らないものの、今朝の私はすっきりとした目覚め。
 天気も良い!