先週の日曜日、平たく言えばちょうど7日前、2つの観光ガーデン(という言い方は不適切かもしれないけど)を見に行ってきた。
今年は雪解けが遅く、またゴールデンウィークの後半は大雨。さらにそのあとも天候不順だった。
そのため、咲いていたのは、山野草を除けばチューリップやスイセン、ムシカリ、クリスマスローズ(写真)、ビオラぐらい。
写真には他にも咲いている花が写っているが、それは売り物。ポリの鉢に植えられたもので、温室で育てられたものだ。
なぜ、春なのにクリスマスローズが、と疑問に思う人もいるだろう。私もあなたの同類だ。
どうやらクリスマスローズというのは、クリスマスの時期に開花するヘレボルス・ニゲルという品種のことらしいが、日本で出回っている品種の多くはそれではなく春に開花するものだという。
ということで、クリスマスツリーも電飾もなく、寂しい景観だったが、参考になったこともあった。
芝である。
我が家の庭にも、そう広くはないものの芝生がある。
張芝を買って来て自宅の庭に芝生を作る人も少なくないが、私はタネをまいて作った。張芝は高いこともあるが、店から運ぶのがたいへんだからだ。
種をまき、いつ芽が出てくるかなと毎日楽しみし、ぽやぽやと縫い針よりも細い芽が1つ2つ出てきたときの喜びを、なんと表現したらいいだろう!きっと発毛剤を使って効果が出てきた人と同じくらい喜んだと思う。
その芝生も10年以上経った。
スギナだのタンポポだのがあっちこっちに入り込んで、あるいは芝と同じイネ科ながらも芝であるケンタッキー・ブルーグラスとは違う植物が生えてきて、正直言ってケンタッキー・ブルーグラス100%の植生に戻すのは無理な状態になった。おまけにコケまで生えてきて、陣地を広げつつあるところもある。コケに負けるなんて、なんて弱い草なんだろう!
芝生内における雑草の数をnとしよう。
雑草を1本抜くと、残った雑草の数はn-1となる。
もう1本抜くと、残りはn-2だ。
着実に減る。
明らかに終わりが見えている。理屈では。
それだけにすがって、私はこれまでも雑草抜きという地味な作業を行なってきた(西洋芝専用の除草剤もあるのだが、スギナには効くものの、タンポポは元気なままだ。だから特効薬とはならない)。
雑草抜きは前向きな作業なのに、どう前向きに考えようとしても、前向きな気持ちになれない。腰はしばらく曲がったままになるし、股間から太ももの筋肉も痛む。ずっとかがみこんでいるので、立ち上がるときに激痛が走る。
でも、n-1、n-2、n-3、……n-27と、雑草は確実に減っているのだ。
が、いったいnっていくつなんだろう?
ここに何本、何株の雑草が生えているのだろう?
いつになっても作業は終わらない。
振り返ると見落とした雑草がいくつも残っている。
この現実によって、nってほとんど∞(無限大)じゃないかと思わざるを得なくなる。
無限から1を引いても、10を引いても、100を引いても、無限は無限。永久に雑草はゼロにならない。
訪れた2つのガーデンの芝を見たときに、私は救われた。当たり前に雑草が生えていて、おそらくは抜かれることは(よほど株が大きくならない限りは)ないのようなのだ。つまり放置プレイ。
私は悟った。
100%ピュアな芝だけにしようなんて、キリンの側転と同じでできっこないってことを。過去10年以上にわたって繰り返してきた私勤労は徒労に終っていたのだ。
どちらのガーデンの芝も、タンポポやらクローバーやらスギナが混じっているのに、別に汚らしくも、だらしなくも感じなかった。ちゃんと適切な高さで芝刈りをしておけば、同じ緑色なわけで、じっくり見つめない限り問題はないのだ。ゴルフ場のグリーンを維持しているわけじゃないんだし。
ということで、必要以上に雑草を気にしないことにした。これが今回のガーデン訪問の収穫だった。
さらに言えば、もう芝は要らないかなとも思っている。
芝をすべてはがすのではなく、ところどころを剥がしてバラを植えるのはどうだろう?(誰に聞いてるんだい?)。すでにバラを植える場所はもうない。芝を芝として維持しないと考えれば、もう何本かは植えられる。
そもそも、なぜ芝を作ったのか?
小さな子供が遊ぶため。週末にそこでバーベキューでもするため。孤独に浸りたいときにテントを張ってこもるため、だ。
もう子供はでかいし、バーベキューを食べると胸焼けするし、テントを張らなくても私はいつでも孤独だ。
ということで、庭を作ってからはじめて大がかりに手を加えようという意欲に満ちているのだが、単身赴任になる前にこういうことに気づけば良かったですわい。
花はあまり咲いてなかったが、先週日曜日の訪問はそういうことでためになった。
バルトーク(Bartok Bela 1881-1945 ハンガリー)の「2つの映像(Ket Kep)」Op.10,Sz.46(1910)。
第1曲は「花ざかり(Viragzas)」、第2曲は「田舎の踊り(A falu tanca)」である。
「バルトーク音楽論集」(岩城肇 編訳:御茶の水書房)のなかで、バルトークは「ドビュッシーについて」というタイトルの文を書いている。そこには、次のような記述がある。
ドビュッシーは私たちの時代の最大の作曲家でした。多くの人はおそらくリヒャルト・シュトラウスを最大の作曲家とみなすでしょうが、私の考えでは、ドビュッシーは《サロメ》の作曲家のはるか上位に立っています。事実、ドビュッシーの音楽は、シュトラウスの音楽よりもはるかに新しいものです。
シュトラウスの芸術が《サロメ》と《エレクトラ》ののち、決定的に退化していったのに対して、ドビュッシーは最後の作品においてさえも、全く独自な新しさを生み出すことができました。
ドビュッシーの旋律の中に、東欧の民俗的な音楽からの影響が見られ、古いハンガリー民謡、なかでも主としてエルデーイのセーケイ民謡の中に見出されるような五音音階的旋律形態が観察できるということは、特に私たちハンガリー人の興味をひく問題です。
ただ一つのことだけは確かです。つまり、ドビュッシーの芸術は決して色褪せることはないであろうということです。なぜなら、ドビュッシーは、自身の芸術を通して真に偉大な価値を生み出したからです。
エルガーのときにショーンバーグ氏に叩かれていたリヒャルト・シュトラウスだが、ここでもやられている。
お気の毒に……
リヒャルト・シュトラウスのことはともかく、バルトークはドビュッシーの作品に強く影響されたが、「2つの映像」ではその受けた影響を自作に折り込み実践しようとした。
ドビュッシーには「映像第1集」と「映像第2集」というピアノ曲がある。前者は1906年初演、後者は1908年初演だ。バルトークが同じく「映像」という名の曲を書いたのは、ドビュッシーの作品名を意識したのかどうかは私はわからないが、偶然てことはないような気がする(なお、ドビュッシーの3曲から成る「管弦楽のための映像」は、第1曲の初演が1913年、第2~3曲の初演は1910年である)。
で、「2つの映像」の第1曲「花ざかり」だが、カラフルな花が咲き誇るお花畑をイメージして聴くと裏切られる。バルトークの音楽は、輝く明るさに支配されたものではない。すっきりしていない。どよーんとしている。隠花植物の花のよう。妖艶ですらある。バルトークにとって、花ざかり(あるいは単に「花」)のイメージってこんなんだったってわけだ。それこそ、にっくき雑草が花ざかりっていう状態を私は思い浮かべてしまった。
第2曲「田舎の踊り」は、バルトークらしい渋くてエネルギッシュな舞曲。田舎で誰が踊ってたんだい?
私が聴いている演奏はブーレーズ指揮シカゴ交響楽団のもの。
ブーレーズの知的(?)アプローチで決して下品にならないが、物足りないバルトークだなぁと感じる人もいるだろう。私は響きがきれいで好きですけど。
1992録音。グラモフォン。
そういえば、昔、「淫花植物」っていうタイトルのアダルト・ビデオがあった。
すっごくうまいネーミングだと思った。
いえ、それだけです。

一般的な除草剤はタンポポやクローバにも聴きますが、唯一売られている西洋シバ用の除草剤は、タンポポには効きません。芝生は家を持つと作ってみたいものですが、緑を眺められるという効果はありますが、狭い庭に無駄なスペースってことになっちゃいますね。
ちょいと考えてみます。