74f89cc7.jpg  まだ朝のこの時刻だっていうのに、もう36.2度もある。

 おっと、早とちりしてはいけない。
 灼熱の朝を迎えているのではない。
 私の体温のことだ。平熱だ。本日も異常なし!

 にしても、夏である。

 毎日昼食は外で食べる私である。
 このあいだは社内のオオサワ課長と一緒にランチ・デュエット!るんるん。

 彼「どこ行きます?」
 私「どこ行こうか?」
 彼「何か食べたいものあります?」
 私「いや、特にない」
 彼「だったらまた昨日と同じ店になってしまいますよ」
 私「それはあまり気乗りしないなぁ」
 彼「じゃあ、あそこにしましょうか?」
 私「そうしようか」

 私は“あそこ”がどこか理解しないままそう答えた。
 で、彼が向かった“あそこ”とは4区画ほど離れた場所にある食堂だった。
 この店に来るのは3月以来だ。

 私「親子丼!」
 彼「冷やしラーメン!

 注文するとオオサワ課長はさびしげに嘆いた。

 「どうして冷やしラーメンって夏季限定なんでしょうね?ソバやウドンは年がら年中冷たいのがあるっていうのに、冷やしラーメンは夏だけ。これっておかしいと思うんですよ。どうしてなのかなぁ」

 なるほど、彼の疑問はなかなかいいところを突いている。そして、このとき私は、実はオオサワ課長は、ふだん口に出して公言することはないものの、冷やしラーメンを愛しているということを垣間見た気がした。

 なぜ夏季限定なのか?
 たぶん外が吹雪の店内で冷やしラーメンを頼む人はいないからだと思う。

 でも、私はもっともらしいことを言い、さらにアドバイスした。
 「冬になるとトマトやキュウリが高くなるからでしょう。もし冬の間も冷やしラーメンを食べたいなら、今のうちからベルの“冷やし中華のタレ”を買いだめしておけばいいと思うけど」

 オオサワ課長は「ミツカンじゃだめですか?」とも言わず、目を細めてずっと壁の“冷やしラーメン700円(夏季限定)”という張り紙を50km先の先の山並みを見るかのように見ていた。

 食べ終わり私は680円を払った。
 オオサワ課長は700円を払った。

 夕方になって、彼は「おなかがすいた。親子丼より冷やしラーメンの方が高いのはおかしい」と控えめに言っていた。時差的に納得いかないことが顕在化した瞬間だった。

 その数日後。
 私はたまたま一人ぼっちで昼を食べなくてはならないことになり、とあるラーメン屋に入った。
 メニューには“冷やしラーメン(夏季メニュー)”というのがあった。

 もちろん私は、迷わずにチャーハンを頼んだ。

 だって私、あんまり冷やしラーメンが好きじゃないんだもの。年に1度突然食べたくなるかどうかって程度だ。
 しかも、今季は札幌ですでに1回食べている。その店のも700円だった。キュウリとハムとクラゲと卵焼きと紅ショウガがのっていたが、やっぱり割高感は否めなかった。ラーメンより高いというのがどうも不思議に思ってしまう。

 そのラーメン屋のチャーハンだが、中華だしの素の味が全体に見事になじみ、ちょいとしょっぱめに塩コショウで味付けが成されており、私が自分で作るものに勝るとも劣らない味であった。つまり。賞賛の言葉を思い浮かべることが困難であった。。
 この店では前にしょう油ラーメンを食べたことがあるが、ラーメンの方は脂っぽくなく、かといってあっさり過ぎるわけでもなく、かつコクもなくて絶賛しようにも言葉がみつからなかった。

 となると、三冠も夢ではない。おじちゃんと2人のおばちゃんにはたして冠は与えられるのか?
 そのためには好き嫌いをせずに冷やしラーメン(ちなみにここは800円)に挑戦すべきだろうか?夏は短い。残された時間は少ない。

 マイアベーア(Giacomo Meyerbeer 1791-1864 ドイツ→フランス)の「戴冠式行進曲(Marche du couronnement)」。歌劇「預言者(Le prophete)」(1849初演、パリ)のなかの1曲で、この歌劇中ではおそらく最も広く知られている。単独で演奏されることが多く、多くの人が曲名を知らなくとも耳にすると、「あっ、どっかで聴いたことがある」という立場に追い込まれるはずだ。

 たとえばイベントの参加者を募るお金をかけていない静止画の“全北海道ミオシン同好会主催第2回トノサマガエル跳躍大会”のコマーシャルなんかで使われがちな曲なのだ。

 マイアベーアはユダヤ系で、歌劇作曲家として成功した。
 音楽的効果と劇の視覚的効果を結びつける才能に長け、グランド・オペラの形式の確立者として名声を博し、ワーグナーにも影響を与えたほどだが、死後は作品の評価が急落してしまった。

 「預言者」はE.スクリープの台本による5幕のオペラ。16世紀におこった再洗礼派の反乱を扱っている。
 預言者と名乗って戴冠式をあげた首領ヤンは、オーベルタール伯爵が狙うベルタと恋に陥る。ヤンは伯爵に許可を求めるが、伯爵はこれを許さず、反乱が起きて市は焼け落ち、彼は宮殿の中で母とともに死ぬ、という筋。これだけだとよくわからないけど……

 ところで“預言者”のことを“予言者”と書いているのをたまに見かけるが、この2つはまったく違う。

 聖書にはしばしば“預言”という言葉が出てくるが、これは神のお告げを言うこと、もしくはその言葉である。それを語る能力を持った(霊感を受けた)者が預言者である。
 一方、予言は未来のことを推測していうこと、もしくはその言葉。つまり予言者はノストラダムスである(というブームも昔はあった)。
 “神の予言”なら、神が「この先、ゴジラが出てくるでぇ~」と言うことだし、“神の預言”なら、「神は『ニポンなる国にMUUSANという素敵な男性がいるであろう』と語っておられる」てなことになる(神の預言だ。文句は言うな!)。

 三冠にちなんで、あと2曲、“冠”系の曲を取り上げようと思ったが、長くなってきたのでやめることにする。

 とりあえずCDは行進曲ばかりを集めたオムニバス盤を。
 タイトルは「40 Famous Marches」。「これがFamousかいな?」と思う曲も入っているが、そういうことはこの世にありがち。
 この曲の演奏はボニング指揮ロンドン交響楽団。
 1971録音。デッカ。 

 一応、三冠を目指すあのラーメン屋のチャーハン、熱々ではあった。
 そこは賞賛されるべき重要な点であるだろう。