a655a448.jpg  再び伊達市内を走行中の話。

 千歳、苫小牧、白老、登別、室蘭と高速道路を走っているときに私が心に決めていたことは、「昼はラーメンにしよう」ということだった。

 ところが、伊達のインターで高速を下りたところで私は自分でも信じられないような心変わりをしてしまった。

 そのときカー・オーディオから流れていたのはラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)のピアノ協奏曲第3番ニ短調Op.30(1909)の最後の最後。

 私はカレーを食べたくなった。
 それも無性に。

 この気持ちわかってもらえますか?

 もう10年以上も、いやもっと前かもしれないけど、中村紘子が出ていたカレーのコマーシャル。そこでこの曲尾の部分が使われていた。コマーシャルってものによって長期間に及ぶ影響力がある。いや、音楽の力と言うべきか?

 Homacでレーダー探知機を見て、でも購入には至らず、車をその駐車場に置いたままあたりをうろついた。
 そして私は通り沿いの喫茶店というかカフェというかの前に“カレーライス”というピンク地のノボリが立っているのを発見した。この喜びは書き表せないほどだ。

 ほとんど躊躇せずに入った。

 カレーの味はそこそこだった。
 一口食べたあと、そっとスプーンを皿に置き、左手を広げ、右手を握り、左手の手のひらに右手のこぶしを打って、「うまい!」と叫ぶほどのものではなかった。あるいは膝を打つには至らなかった。

 自慢のカレーとメニューに書いてあったが、なるほど、自信作だということは伝わる味だった。
 でも、余計なことだが、私だって自分が作るカレーは自慢のカレーだ。
 最初っから自分で自慢にもならないカレーと宣言したものを、なぜ作らねばならないのか?そんなの食べる喜びがはなっからないではないか!
 そういう意味では目玉焼きだって、自慢の目玉焼きになるのだ。

 さて、このカレーライスで不満だったのはご飯の硬さだ。
 めっこご飯かと思ったが、カレー用に硬めに炊いているのだろうか?芯が残っているのである。
 カレールーをかけてあるとはいえ、このライスは口触りがあまり良くなかった。

 急きょメニューをチェック。
 すると、ご飯をそのまま供するもの-たとえば生姜焼き定食とか、カツ定食といったもの-はなく、ピラフとドリアがあるだけだった。つまり、そのままご飯を出すメニューはない。

 やっぱり、わざと硬めに炊いているのだろうか?あるいは輸入米だったのだろうか?

 欲求を満たした後、私はちょっと胃もたれに襲われた。
 たぶん硬いご飯が胃に負荷をかけたのだろう。
 飯ごうでご飯を炊いたけど失敗しちゃった。でも、カレーだからがまんして食べましょう。青空の下ならなんだって美味しいわよ、ってキャンプしているわけじゃないんだから、ご飯は芯の無いように炊いてほしい。私の好みでは。

 ラフマニノフのコンチェルトだが、そのとき聴いていたのはトルプチェスキのピアノ独奏、ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏。

 ペトレンコについてはこれまで私はまったく裏切られていないが、この演奏もすばらしい。
 こんなに爽やかなラフマニノフの3番を、私は初めて聴いた。おじさん、まいっちゃうぅ~って状態だ。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番はねっとりして濃厚な音楽だ。それがラフマニノフの音楽の特徴であり、魅力でもある。ただし、あまりにも叙情的なロマンティシズムは時として胸焼けを起こしたり、息苦しくなったりする。
 
 トルプチェスキ&ペトレンコは若々しく軽快。しかしラフマニノフの持つ魅力失われていない。粘着性や甘美さと現代的感覚の、そのさじ加減がおみごとだ。

 多くの演奏がとんかつソースから中濃ソースの味わいだとしたら、この演奏は中濃4にウスター6ってところ(数字にはこだわらないこと!)。
 ラフマニノフのちょっとばかり病的なむせび泣き付きメタボ感が好きな人には物足りないかもしれないが、私には十分ロシア的だし、聴いていて酸欠になる心配もない。
 あらたなアプローチとして非常に値ある演奏だ。特にこの季節に聴くには良い。

 2009録音。Avie。