bd38287e.jpg  サラリーマンにとって、今日の昼は何を食べようかを決めることはけっこうたいへんだ。仕事以上に悩まされると言っても過言ではない。

 混んでいなくて、値段が手ごろで、そこそこ味が良くて、注文してからあまり待たされないで食べられる。そういう条件を満たす店に行かなくてはならない。
 とはいえ、その条件を満たす店があったとしても、そこにばかり毎日行っていると、「ルーティンワークは惰性に陥ってしまうな」と、変化が欲しくなる。

 先日の昼。
 「何を食べましょうか?」とオオサワ課長
 「今日は嫁さんが寝坊したので弁当なしです。だから私も一緒に行きます」と、ふだんはヘルシーな愛妻弁当(もしくは愛菜弁当)持参のヤマチ係長(初登場)。
 「じゃあ、久しぶりにパスタ屋に行きましょうか」とオオサワ課長。
 「へぇ、そんなところまだ行ったことない。行こう行こう!」と私。

 このように、やや気分も盛り上がり行ってみたものの、店に張り紙が。

 “病気療養中につき、お盆前ころまで休みます”

 すっごくアバウトだが、まあ病気なんだからいつ完治するとは言いきれないのだろう。
 で、絶対にお盆も休むに違いないから、“お盆明けまで休みます”が正しいんだろうし。

 「どーしましょうーか?」とヤマチ係長。
 「この近くだと山岡家だな」とオオサワ課長。

 ということで、我々は山岡家に行った。

 実は私、この地に限らず“山岡家”なるラーメン屋に来たのは初めてである。

 入口に食券の自販機がある。
 お金を入れると、2度にわたって1枚の百円玉が返却口へとストレート落下。なんか、いやな予感がした。

 それでも根性で醤油ラーメンの食券を買って、来るのを待った。

 ラーメンが運ばれてきた。

 えっ?これ、醤油ラーメンなの?
 私は運んできたお姉さんに思わず言ってしまわずに、熟考の末に心の中でつぶやいた。
 汁の色が全然醤油ラーメンっぽくない。
 麺を箸で持ち上げる。
 やけに黄色くて太くて縮れていない。ソース焼きそばに合いそうな麺だ。
 食べてみる。
 ぜんぜん私の好みじゃない。
 これ、ラーメンか?
 しかも太くて弾力があるせいで扱いづらい麺が、想定外の動きをしたために油分豊富な汁がはねてズボンに。

 シミがついた。
 あぶらじみ……

 悲劇だ。ひどい目に遭った。
 とはいえ、シミは自分の責任だ。でも、それとは無関係に、あの味は好きになれない。

54cc8b4c.jpg  マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂'06。その後たびたび管弦楽配置を変更)。

 金聖響と玉木正之による「マーラーの交響曲」(講談社現代新書)には、指揮者の金聖響が2011年3月12日に、横浜みなとみらいホールで神奈川フィルとこの曲をやることになっていたが、未曽有の事態が起こった中で演奏会をやるべきか中止すべきかかなり悩んだ末、予定どおりコンサートを行なったことが書かれている。会場にやってきた聴衆の数は700人余りだったという。
 その前日の震災当日。ハーディングがすみだトリフォニーホールで新日本フィルを指揮してマーラーの交響曲第5番を演奏している。そのとき会場にやって来れた聴衆は約50人だったということも書かれている。

 さて、同書の中には、「バーンスタインは、ウィーン・フィルハーモニーを指揮してこの楽曲を演奏したとき、リハーサルを前に『この行進曲は憎むべきナチスの行進だと解釈して演奏したい』と、当時バーンスタインのアシスタントをしていた佐渡さんに語ったといいます」とある。

0b8f4cd0.jpg  バーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮した、マーラーの交響曲第6番(1967録音。ソニークラシカル)。

 もちろん、マーラーがこの曲を書いたときにはナチスはまだこの世に生まれていなかったわけだし、ニューヨーク・フィルとのこの録音のときに、バーンスタインがすでにそういう考え方・スタンスだったのかわからないが、この演奏を聴く限りでは冒頭の行進曲にはさほど憎しみは感じられない。

 この演奏は曲全体を通じて美しい。
 甘ったるくはないがロマンティックで、悲劇性は薄い。厭世観が乏しい。

 わき目もふらず、息抜きもせず厳しく進んでいくショルティ/シカゴ響の演奏(1970録音)とはずいぶんと違う。
 ただ、ショルティの演奏はあまりにもこれでもか!と聴き手に迫ってくる。それがつらく感じる人もいるだろう(もっとすごいのはテンシュテットだけど)。そういう人にはあまり悲劇性を強調しないバーンスタインの演奏の方が聴きやすいだろう。

 悲劇性が薄いと書いたが、それでも第4楽章のハンマーは3回鳴らされる。最終稿では削除された3回目の悲劇、つまり決定的な一撃も鳴らされているのだ。

 前掲書によると、「3発目は自分の命の終り(死)というのがバーンスタインの『解釈』で、マefb91d3c.jpg ーラー自身が『怖くて打ち下ろすことができなかった(しかしほんとうは打ち下ろしたかった?)最後の一撃』を、『マーラーに代わって打ち下ろす』というのが、彼の主張」なのだという。

 前にも載せたことがあるが、3回目のハンマーがある楽譜(オイレンブルク版スコア)と、最終稿の同じ箇所のスコア(音楽之友社版スコア)をあらためて載せておく。

 もう一点、この交響曲では第2楽章と第3楽章について、スケルツォ→アンダンテの順で演奏するか、アンダンテ→スケルツォとするかの問題がある。
 私はスケルツォ→アンダンテの演奏に親しんできたので、アバドなどのアンダンテ→スケルツォの演奏順には抵抗があるが、それは慣れの問題かなと思っていた。
 しかし金聖響は調性上の点から、スケルツォ→アンダンテの順のほうがすっくりすることを書いている。
 調性のことは私にはよくわからないが、理論的に自分の好みが裏付けられたことに、なぜかほっとした。
 バーンスタインもスケルツォ→アンダンテの順で演奏している。