313feb8a.jpg  村上春樹の「サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3」(マガジンハウス)で、最初に載っている話のタイトルは「忘れられない、覚えられない」。
 そこにこんなことが書かれている。

 フランスの作曲家ベルリオーズは夢の中で交響曲をひとつ作曲した。朝目が覚めたとき、第1楽章を細部までそっくり丸ごと思い出すことができた。会心の作だ、と彼は思った。すごいですねえ、眠っているあいだに作曲ができちゃうんだ。「やったぜ。これは覚えてるうちに書き留めておかなくちゃな」と彼はすぐに机に向かってすらすら楽譜を書き始めた。でもそこではっと気がついた。ベルリオーズの奥さんはそのとき大病を患っていて、治療に多額のお金が必要だった。雑誌に評論を書いて原稿料を稼がなくてはならない。交響曲なんか書き出したら、完成までにずいぶん時間がかかるし、その期間ほかの仕事ができない。薬代も払えない。
 だから彼は、泣く泣くその交響曲を忘れてしまおうとしたのだが、メロディーはしつこく脳裏を去らなかった。それでも心を鬼にして、懸命に記憶を消そうと努めた。そしてある日、その音楽はついに彼のもとを去っていった……という話だ。残念ですね。そのようにしてベルリオーズの(たぶん)傑作がひとつ音楽史から永遠に消えてしまった。


f0a32389.jpg  このエピソードについては、私は知らなかった。
 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「回想録」にでも書かれているのだろうか?

 これは「幻想交響曲」のことなのかなと、私はうっかり八兵衛のごとく早とちりしかけたが、奥さんが大病を患っているっていう状況は「幻想交響曲」を着想したときのことではない。「幻想」は自分のことを好きになってくれなかったシェイクスピア女優のスミスソンへの失恋を扱っているわけで、作曲されたのはベルリオーズが独身のときのことだから。

 じゃあ別な交響曲かと、しつこいうっかり八兵衛のように早とちりを繰り返したわけだが、ほれほれ、「彼のもとを去っていった」わけだから、いま残されているものではないのだ。

 「幻想交響曲」が書かれた後、ベルリオーズはスミスソンと結婚することができた。
 しかし、結婚生活はすぐにうまくいかなくなった。その原因は、ベルリオーズはスミスソンを愛していたのではなくシェイクスピア劇の舞台でスミスソンが演じる役に惚れていたとか、言葉の壁によると言われている。

 1843年には2人は別居。'48年には別居していたスミスソンが脳卒中で倒れる。
 スミスソンは1854年に亡くなっているが、村上春樹が書いている“奥さんの大病”というのはこのことだろう。

 一応念のためにおさらいしておくと、ベルリオーズには交響曲と名がついている作品が4つある。
 「幻想交響曲」、交響曲「イタリアのハロルド」、「葬送と勝利の大交響曲」、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」である。
 このうち最も遅く書かれたものは1840年の「葬送と勝利の大交響曲」であり、スミスソンが倒れた1848年以降に書かれたものはない。
 ちなみに、このころに作曲された大きな作品はというと、「テ・デウム」Op.12,H.118(1849)がある。

 まあ、とにかく完成されなかった文字どおり“幻の交響曲”なわけで、だからやっぱり今日も「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」Op.14(1830/改訂'31)。
 今日は広上淳一指揮ロイヤル・フィルの演奏を。

 広上淳一はちょいと好きな指揮者だ。
 けっこう前のことになるが、彼が札響定期でマーラーの交響曲第4番をやったことがあるが、あの演奏はこれまで何度か聴いている札響のマラ4のなかでもいちばんの演奏だったんじゃないかと思っている。
 あと、2009年の札響定期での「火の鳥」も良かった。
 広上淳一って、オーケストラを統率する能力が抜群だと思う。小柄ながら指揮台の上を所狭しと動き回る姿は、演奏のスケールの大きさとそのまま結びつく。

 ところがこの「幻想」、おとなしい演奏だ。
 抑制した統率って感じ。」これが広上?」と意外に感じる。きっと指揮台の上では汗撒き散らせながら大騒ぎしてるんだろうけど……。でも、こんなふうに安全運転の「幻想」を私は広上には期待していない。
 CDの帯には「このまがまがしいドラマをデフォルメなしに見事に表出した演奏で、その隅々に息づいている呼吸がすばらしい」と書いてあるが、なるほど、そういう言い方もできるわけね。

 第1楽章の反復あり。第2楽章のコルネット助奏なし。第4楽章の反復なし。
 鐘の音はしょぼめ。
 ちなみに“レコード芸術”推薦盤。
 1996録音。DENON。