私は一時期、コーヒーを淹れるのに凝ったことがある。中学生のころだ。
そして、それは自分で飲むわけだが、飲み過ぎたせいか胃の調子が恒常的にすっきりしなくなり、ほどなくしてこの中学生にはふさわしいとは言えない趣味(?)はやめた。
大人にになった(なりすぎた)今、ふだんは特に胃の調子が悪いわけではないが(ドックでひっかかることがあっても、ずっと尾を引くようなものではない)、それでもコーヒーを1日に3杯飲むととたんに胃の調子が悪くなってしまう。
コーヒー好きだった作曲家は少なくないが、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)はかなりのコーヒー好きだったという。
ヒュルリマン編の(なぜかここで突然「ヒュルリラ、ヒュルリラァ~」っていう歌が頭の中で騒がしくなっているが、これって誰の歌でしたっけ?)「ベートーヴェン訪問」(酒田健一訳:白水社)は、ベートーヴェンを訪問した人たちの回想記や手紙、あるいは訪問した人の話を別な人が書いたものをまとめた書であるが、このなかにもコーヒーに触れられた記述がいくつかある。
・ホルン奏者のF.シュタルケ(1774-1835)
……最もすばらしく、最もゆかいだったのは、朝食に招待されるときであった。シュタルケにとって、それはまさに魂の朝食といえた。1812年当時のベートーヴェンはメルカーバスタイに住んでいた。非常にうまいコーヒーだけの朝食(ベートーヴェンみずからガラス製のコーヒー沸かしで立てる習慣であった)がすむと、シュタルケはつぎに魂と心の朝食をせがんだ。……
どうでもいいが、なんかちょっと変なことを想像しちゃう。魂と心の朝食をせがむ?だめだよ、せがんじゃ、うっふん……
・作曲家のC.M.v.ウェーバー(1786-1826)
……偉大なルートヴィヒの住む、ほとんどみすぼらしいとさえいえる寒々とした部屋に足を踏み入れたとき、3人の男(ウェーバー、ベーネディクト、ハースリンガー)は興奮していた。室内は乱雑をきわめていた。床には楽譜やお金や衣類が散乱し、よごれたベッドには洗たく物が山と積まれ、あけたままのフリューゲルは分厚いほこりをかぶり、テーブルにはこわれたコーヒー沸かしがのっていた。…… ・1818年にベートーヴェンの肖像画(掲載写真)を描いたF.シーモン(1797-1852)
……ベートーヴェンは彼をコーヒーに招待した。このさし向いの時間をシーモンは目を仕上げるために利用した。16粒のコーヒー豆で入れた1ぱいのコーヒー。こうした招待が繰り返されるうちに、ついに画家は彼の仕事を完成することができたのである。できあがった肖像画を見てベートーヴェンは大いに満足した。
16粒というのは間違いで、あとで述べるように60粒が正しい。
だいたいにしてコーヒー豆が16粒だったらウーロン茶よりも色が薄い、いや、爽健美茶よりも色が薄い、色つきの湯にしかならないだろう。
シーモンのこの話は、シーモンがシンドラー(ベートーヴェンの弟子だが、美化しすぎたベートーヴェン伝を書いたうそつき男)に伝えたもので、どこかで60粒が16粒に間違われたのだろう。
・医師のK.v.ブルシー博士(1791-1850)
……ベートーヴェンは書きもの机で1枚の楽譜用紙に向かい、コーヒーを沸かしているガラス製のフラスコをまえにしていました。
上の記述でもわかるように、ベートーヴェンは朝食にオリジナル技法で自ら淹れたコーヒーを飲んでいた。また、気に入った客人にもコーヒーをごちそうした。コーヒー1杯につきコーヒー豆60粒。それをきちんと数えていたという。
60という数字から、今日は交響曲第4番変ロ長調Op.60(1806)。
交響曲第3番「英雄」でベートーヴェンはそれまでの交響曲の形から一挙に規模拡大を行なった。 一方、第5番は「運命」である。第5では第4楽章にトロンボーンやピッコロを用いるということをやってのけ、効果をあげた。
となると、その間に挟まれた第4番はどうなのか?
「英雄」の後の後退、「運命」の前の休息。そう書いてあるのを読んだことがあるが、確かに革新的な要素は少ない。でも、非常に充実した交響曲である。
私はこの曲を聴くと、それが誰の演奏であれ、いつも幸せな気持ちになる。
優しくて穏やかで健康的。
今日はラトル指揮ウィーン・フィルの若々しい躍動感あふれる演奏を。ワクワク、ウキウキしちゃうね、これ。
2002年ライヴ。EMI。
なんだかバナナとヨーグルトを食べなきゃならない気持ちになってきました。