022ac01f.jpg  右足の小指が疼く。

 というのも、1週間ほど前、旭川で痛めたのだ。
 ホテルの部屋で、なぜかしらベッドの足を蹴ってしまった。現象としてはぶつけてしまったのだが、その勢いは蹴ってしまったというにふさわしいものだった。
 すっごく痛かった。でも、痛いときってなぜ笑ってしまうのだろう。アホみたいだ。
 いまだ痛いのは、歳のせいで回復力が落ちてしまっているせいだろう。

 最近朝の目覚めが悪い。

 秋だからだろうか?日の出が遅くなったからだろうか?
 これまでだったら目覚まし時計が鳴り響く前に必ず目が覚めたのに、ここ数日は目覚まし時計のピニューピニューピニューというアラーム音で起こされる。
 いや、実はアラームが鳴る前に1度は目が覚めている。ただ、それが夜中の3時とかで、アラームが鳴るはるか前なのだ。そんなことで、アラーム直前には起きれなくなっているようだ。
 起きた後もすぐにはスキッとしない。前だったら起床とともにじっとしてられなかったのに、このところはぼーっとした状態が続く。3分くらい。

 ところでこの週末は札幌に帰らなかった。
 自宅に帰ってしなければならないことがたくさんある。特にバラの冬囲いである。
 まだ早いのだが、そうそう作業ができるわけではないので、できるうちにやり始めておきたい。そう思うとかなり焦ってくる。とはいえ、あんまり早くやると囲いの中でバラたちがムレムレになっちゃうし……
 おまけに昨冬の大雪のせいで、冬囲いに使う支柱はことごとくだめになった。新たに購入しなければならない。支柱を買って、ロープも買って、囲えるようにバラを強剪定し、そして支柱を立て、ネットをかけ、ロープで結ぶ。
 こうやって書くととても手間のかかる作業のように思われるだろうが、実際手間がかかるのだ。

 冬タイヤも買わなければならない。もう4シーズン履いたからだ。
 限られた自宅への帰省中に注文し、ホイールに組み込んでもらわなければならない。
 
 このような焦燥感と、でもわかない気力。
 困ったものだ。

 元気を出そう。
 そう思ってインデアンにカレーを食べに行ったわけさ。
 私の人生において3回目のインデアンである。

 そういえば子どものころ「インディアン、ウソつかない」って言葉があった。よく使っていたわけじゃないけど、あれはいったいどこが出所だったんだろう?
 そしてこの言葉、決して北海道は浦河のローカル言葉ではない。
 コンタロウが描いた“1・2のアッホ!!”という傑作漫画があったが、そのなかに「インディアン、尻ふかない」っていうのがあったからだ。これはどう捻じ曲げて解釈しても「インディアン、ウソつかない」のパロディ以外のなにものでもなく、同時に全国区の言葉であることが明白である。

 で、3回目のインデアンのカレーだが、確かに美味しいもののそうバカ騒ぎするほどのものではないということに気づいた(あくまで個人的見解)。
 ここのルーはご飯にしみこまないほどの粘性があり、意外とくどい。体調によっては胸焼けする。気力がないと体力も衰えるのか(もっとも私は常に体力はない)、この日は午後のひとときを食道から胃にかけての積極的な存在感のアピールを経験した。
 とはいえ、インデアンのカレーはある種の懐かしさもあって、また食べたくなるんだろうな。

a54b5f61.jpg  そうそう、何日か前に日経新聞を読んでいたら、1面の下に雑誌の“園芸ガイド”の広告が載っていた。
 「へぇ、園芸ガイド、日経に広告出すんだ。そういえば、久しく買ってないな」と思って、今号の特集をチェックしようともう一度広告を見たら、園芸ガイドのものじゃなかった。
 やれやれ、早とちりしたわい(もしくは目が弱ったわい)。

 カレーを食べても元気が出ないし、園芸と霊園を間違えるなんて、爺もすっかり弱ったわい。
 しかたがない、大好きな曲を聴いて元気を出そう。

 そう思って久々に聴いたのは伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「ピアノと管絃楽のための『リトミカ・オスティナータ(Ritmica Ostinata)』」(1961)。

 いやぁ、はっきり言って元気が出た。
 すっごく出た。ユンケルを飲んだときほどじゃあなかったが。
 「リトミカ・オスティナータ」についてはだいぶ前に取り上げているが、タイトルの意味は「執拗に反復する律動的な音楽」。
 この執拗さがステキ!

 今回元気を与えてくれたのは小林仁のピアノ独奏、若杉弘指揮読売日本響による演奏。
 私が知っている限りでは、この曲のCDは3種類出ていて、そのなかでこの小林が弾いた録音は1971年といちばん古いが、いちばん良い演奏だと思っている(札響定期の演奏も良かった)。