今回は獨協大学である。

 いや、ですから先日、大正大学の名前が当ブログに出て来たので、大学シリーズ第2弾は獨協大学である。そして、このシリーズは今回で終わる。

 ネットであることを調べていたら「受難曲の歴史 -ドイツ語圏を中心に-」という論文に出くわした。書いているのは木村佐千子さんという人。常識的に考えれば、たぶんこのお方は獨協大学に関係する人に違いない。

 18世紀後半から19世紀にかけて最も上演回数の多かった受難曲は、ラムラーの詩にC.H.グラウンが作曲し、1755年にベルリンの歌劇場で初演された「イエスの死」であった。歌詞として聖書の原文そのものを用いない「受難オラトリオ」、すなわち受難を題材とする大規模な劇音楽である。それまでの受難曲で中心的な役割を果たしてきた福音史家の役はなく、イエス受難の物語のなかで印象的な場面を瞑想的に描き、アリアや合唱を中心に感傷的に追想し、宗教的な表情を喚起させる。テクストは自由詩が主体だが、コラールが重要な役割を果たす。流れに適した聖書の箇所を主にレチタティーヴォで引用することもあり、伝統的にバス歌手に割りふられていたイエスの言葉は、ソプラノ等の自由詩楽章のなかで部分引用のようなかたちで歌われる。総じて、省察のために劇的性格が後退していることが指摘できる。中世のはじめには、聖書に記されたいわば歴史的事実とされるもののみを歌っていた受難曲だが、結句(終結合唱)やコラールが導入され、オラトリオ受難曲を経て、聖句そのものを用いない受難オラトリオが書かれるに至って、省察の比重がますます増してきた。そのような歌詞につけられた音楽も、バロックの対位法をベースにする部分もありながら、多感様式といわれる優美で叙情的な旋律を持つもので、3度や6度の平行による甘美な響きを含む。こういった新しい美学にもとづく要素が当時の人々の心に訴え、「イエスの死」は、1755年にベルリンの歌劇場で初演されて以来、主に教会ではなく演奏会場・劇場で多く上演され、1884年までほぼ毎年演奏された。グラウンの「イエスの死」は、イエスを友、手本として、受難を人にとって救いのもたらされる喜びとして描き出している。これが19世紀後半の宗教観には合致しなくなり、音楽様式の変化ともあいまって、演奏されなくなっていったようだ。

b2fca849.jpg  聡明なあなたならもうお気づきだと思うが、私がネットで調べようとしていたのはグラウンの「イエスの死」についてである。そして、このすばらしい論文を見つけてしまったのだった。
 偶然ってステキですよね。

 木村佐千子さんについて調べてみたら、私の推測を裏切らないものだった。
 つまり獨協大学にいる人だ。ドイツ語学科の准教授で、専門は音楽学と西洋音楽史。主としてJ.S.バッハを研究対象にしているという。
 
 さて、グラウンついては先日も取り上げたが、今日はカール・ハインリヒ・グラウン(Carl Heinrich Graun 1803/04-1759 ドイツ)の作品。
 このあいだはカールの兄・ヨハン・ゴットリーブの作品(あるいはヨハンとカールの共作と考えられるもの)だったが、弟の方にスポット・ライト!

 兄の得意分野は器楽作品だったが、カール・ハインリヒ・グラウンはイタリア・オペラの作曲で当時は知られていたという。
 また上の論文にあるように、受難オラトリオ「イエスの死(Der Tod Jesu)」(1755)は非常に人気があった作品である。

 J.S.バッハの息子たちと同時代、バロック期から古典派への過渡期の多感様式(≒ギャラント様式)の作品であり、バロックのような過度な装飾は避けられ、メロディー・ラインを重視する。

 ラムラー(Karl Wilhelm Ramler 1725-1798)のこの詩による受難曲はいくつかあるそうで、テレマンも曲を書いている。

 グラウンの「イエスの死」は、歌詞の内容は私にはわからないが、そのタイトルから想像するような悲壮感あふれる音楽ではない。とても穏やかで美しく感傷的だ。
 この流れのよい音楽を聴いていると、長い間人気を保ったというのも納得できる。

 ネーメト指揮カペラ・サヴァリア、ハレ・カンタムス室内合唱団の演奏によるCDを。
 独唱はソプラノがザードリとフェルシュ、テノールがクリートマン、バリトンがメルテンス。
 1991録音。フンガロトン。