9b451457.jpg  ひどくはないが腰の痛みを2週間ほど抱え続いたままになっている。

 最初が最も痛く、そのあとは徐々によくなってきてはいるのだが、座っていて立ち上がる時などちょっと圧迫感のような痛みがあり、「いてて」と声に出して言うと幾分心が晴れるというような状態だ。

 首周りのイボ-老人性疣贅(ゆうぜい)-を一掃するため、撲滅作戦に本腰を入れて何年経ったろう。
 薬(正確には化粧水)を塗ってきたものの、イボは取れるどころか、細かい子どもイボがかえって増えている感じだ。いや、明らかに増えている。
 杏仁オイルの効果よりも加齢の勢いのほうが強いらしい。そうでなければ拮抗状態どころかイボが増えるはずがない。ポロリンボですっかりツルツルお肌を取り戻せると思ったのに、まったくポロ体験ができなかった。

 このままだったら私、マタンゴのようになってしまうんじゃないかと、近ごろ恐れている。

 いまの腰の痛みは、あまりにも長い間このように本腰を入れすぎたせいではないだろうかとも思うが、寝かたが悪いような気もするし、そしてまた快方に向かっていた大切な時期なのに、先日雪道で転びそうになって、自分でも再現できないようなふんばりを発揮し転倒を回避した影響も少なくないとみている。

 私と同年齢でもすでに腰の痛みで苦しんでいる人がいるが、幸い私は腰痛に悩むことはなかった。肩こりに苦しめられたこともない。このあたりは恵まれていると思う。
 今回の腰痛もクセにならないと思っている。なんとなくそう信じられるのだ。
 それを確たるものにするためにもロイヒつぼ膏を貼って、確信が崩れ去らないように気をつけよう。

 12月はなぜか「第九」の季節である。
 「第九」とは、ご存知のように、泣く子も黙るベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱付き(Choral)」(1822-24)のことある。

 昔は私も毎年のように年末の“第九特別演奏会”に行ったものだが、ある時から行かなくなった。とっても失礼なことを書いて申し訳ない気もするが、「第九」の演奏会の客席の雰囲気が好きになれないのだ。

 それは定期演奏会とは微妙に違うものだ。
 訪れた人たちの中に、音楽を聴くというよりは季節のイベントだかたというような野次馬的動機で集まっている人が少なからずいるからだ。
 そういう人たちのなかには、コンサートのマナーをよく知らなくて、演奏中にやたら頭を動かしたり、パンフをガサガサしたりといった迷惑行動がみられる。

 あるいはこの日のために練習を重ねてきた合唱団員の家族ならびに親戚縁者と思われる人たちが、音楽を聴きに来たというよりは、ステージに立った父または母あるいはお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさんの晴れ舞台を見に来ているという、発表会のような雰囲気もいやだ。

 こういう人たちは、たいていすぐに合唱が「歓喜に寄す」、つまりあの有名な「歓びの歌」が登場すると思っている節がある。

 だから、ずっと待っていてもそのかけらも出てこない第1楽章でキョトンとし、続く第2楽章でもスカをくらい、第3楽章になると睡魔に襲われるか腰やお尻の痛みに必死に耐える(やっと腰痛につながったわい)。

 気の毒だ。
 そのかわり、第4楽章でコントラバスが「歓びの歌」を弾きはじめると、Eテレのスペイン語講座の画面にいきなりビキニの美女が出て来たかのようにそちらを凝視する。よかったね、やっと出てきて。

 もっとも私が「第九」に行かなくなってずいぶんと経つ。会場の雰囲気もノーマルになっているのかもしれない。Kitaraだったらシートも良いから、そうそう腰もお尻もいたくならないだろうし……

 かつてリリースされたときにかなり話題となった「第九」の演奏。それはジンマンが指揮したものだった。

 いまでこそ何人もの指揮者が採用しディスクも出ているが、ベーレンライター原典版の楽譜を用いた最初のものである。
 楽譜の問題もさることながら、輸入廉価盤のハシリでもあり、交響曲の全集なのにひどく安かった。

 それまでの重厚な「第九」とはまったく違う響きであり、またとにかく速い。

 第1楽章で苦悩に頭を抱える暇はなく、第2楽章も疾走爆走暴走。第3楽章だって悠長に歌い回したりしない。
 終楽章の合唱だって迫力がない。ノーテンキとも言える明るさと軽さだ。
 「第九」が1番から8番とは別格であると神聖視していた人にとっては、耳を覆うような信じられない演奏だ。

 でも、初演当時の演奏ってこんな感じじゃなかったのかなと思う。いまのような大オーケストラ、大合唱団は用意できなかっただろうし……

 苦悩から歓喜ったって、ちょっと押しつけがましいんだよ。「第九」にそんな思いを持っていた人にはうってつけ。重厚な響きのなかでじっくりと1年を振り返りたい人にはまったく適さない。

 なお、この盤では全曲の他に、終楽章の第331小節目から最後までの別テイクが収められている。
 これは、ベートーヴェン自身の手稿譜に基づき演奏したものだそうだ。

 ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、スイス室内合唱団の演奏で独唱を務めているのは、ツィーザク(S)、レンメルト(A)、デイヴィスリム(T)、ロート(Bs)。
 デイヴィスが痩せたらデイヴィスリムになっちゃった、なんてね……すいませんでした。
 1998録音。アルテノヴァ・クラシックス。