0257c112.jpg  白石一文の「一瞬の光」(角川文庫)。

 たまたま読んだわけで、この作家の名前も初めて知った。

 なかなか面白いと思ってページをめくって読み進んだけど、どーもしっくりこない。
 企業小説という面からみればこれぐらいのエリートを登場させ、かっこよく立ち回らせなきゃならないのかもしれないが、かえってリアルに感じられない。

 いや、エリート・サラリーマンの世界には実際これに似たような話があるのかもしれない。でも、大多数の企業においてはこのミニ版のような話はあっても、ここまではまずないだろう。こんな人がいたら組織から浮いちゃう。

 そして、主人公が偶然知り合ったヘンチクリンな若い女の子。この女の子相手に、このエリート君がお人好しを超えた過度な面倒を見てやるのも理解できない。
 だいたいにして、こういうのっていちばん危なっかしいんじゃないか?敵が多い人間にとっては。もちろんストーリーのなかも問題になりそうになるが、気づいた若手社員が見事に左遷させられて、そのあとは尾を引かないっていうのも、いくら社長のめんこのエリート君とはいえ、こんなふうにはならないんじゃないか?

 このエリート君や会社に、私がいろんな違和感を持つのは、実際に私が勤めている会社がとても人間味あふれるところだからというせいかもしれないけど……

 いずれにしろ、この小説の舞台となっている企業、そしてエリート君がいかにもエリートらしく動き回っている様は、私にはまったく別な世界。宮部みゆきの「英雄の書」の世界と同じくらい、私の日常の世界とは遠い。あるいは、深夜に社に戻ると羊男が現われたってほうが、まだ違和感がない。
 場面としては些細なところかもしれない、私用で急に社の役員車を使うなんてことが信じられない。

 また、飲んでいる薬の名前を出して会話しているところなんか、医者や薬剤師でもあるまいし、うんちく披露そのもので、いやな感じ。
 いや、薬の名前を出したっていいが(私だってベザトールとかザイロリックとかを飲んでいて、同じ病気に誇りを持っている人と薬の名前を出して話をすることがある。家族との会話で、パブロンとかベンザといった薬の名を出すこともある)、あたかも知識ありありって感じが鼻につく。

 主人公が会社を去ることになったのも、実際にこんなことがあったらそりゃスキャンダラスなことなんだけど、私には安っぽい悲劇に感じられた(本人は悲劇には感じてないようだが……。だってそんだけすごい人ならすぐどっかから声がかかるんだろうし)。

 放り投げずに最後まで読んだけど、終始感情移入できなかった。
 だいたい、飲酒運転しちゃダメだろうが!

 小説に怒ってどうする……

df64c950.jpg  感情移入できない悲劇といえば、インバルによるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂'06)の演奏に、私はビミョーな距離感を感じどこか引き込まれない。
 このCD、オーケストラはフランクフルト放送響で、1986年の録音である(DENON)。

 インバルについては、これまでいろいろな曲の演奏を取り上げている。つまり、私がお気にの指揮者でもある。

 実はインバルという指揮者の存在を意識したのは、同じマーラーの第6交響曲の演奏をNHK-FMで聴いたのがきっかけだった。1979年のことである。
 番組名は“FMクラシックアワー”で、はっきりと覚えてはいないが、海外でのライヴ収録だったと思う。その演奏は、力でぐんぐん押してくるものではなく、繊細で美しく味わい深くもので、それまでショルティ/シカゴ響で慣れ親しんできたこの曲の、別の一面を見た気がした。

 レコーディングは、こうした公演で十分に回を重ねた結果、満を持して行なわれたのだろう(あくまで想像)。

 ところがこの「悲劇的」、印象はあの放送のときと変わらないのだが、どこか私の気を引かない。あまり感情移入できないまま終わってしまうのだ。
 ときには、最後まで聴きとおすのがつらくなってやめてしまう。
 美しいし緻密だ。感情の起伏だってちゃんとしている。
 でも、私には合わない。
 なぜかはわからないが、聴く喜びが感じられない。マーラーの人間としての叫びが感じられないからだろうか?
 いや、とても良い演奏なのだ。“レコード芸術”誌で特選盤になったくらいだ。
 良い演奏なのに、私は感動しない。私にとってはこの演奏、感情が抑制され過ぎているのだろう。
 
 5年前の12月。
 インバルは都響でマーラーの7番と6番を振った。
 私は7番を聴くことができたが、6番は(エリートでもないのに)仕事で聴きに行けなかった。
 7番がすばらしかったゆえに、実際に生で聴けばインバルの6番のアプローチに共感できるかもしれなかったのに残念だ(が、その後の批評では、6番はあまりよく書かれていなかった)。

 もし、「一瞬の光」の主人公が「悲劇的」を聴くとしたら、このCDのような演奏を好むのかもしれない。でも、こんな遅めのテンポは彼にとってはイライラするかも。
 そんなどーでもいい想像をしてしまった。