伊福部昭がまだ札幌で暮らしていたころの話(20歳過ぎだ)として、こんなことを語っている。

 私が「日本狂詩曲」を書いていた頃だったと記憶していますが、ロシア語で青空という意味のネヴォという喫茶店に「ペレアスとメリザンド」などのモダンなレコードがあったので、よく聴きに行っていました。そこには大宅壮一さんや、作家の小林多喜二さん、俳優の西村晃さんなどが出入りしていたようです。今になってみると、とても不思議な顔ぶれですが(笑)。それからヨーゼフ・シゲティの弾いたプロコフィエフの「バイオリン・コンチェルト第1番」のレコードが、今も残っている千秋庵という店にあるというので、早坂君と三浦淳史君と僕と3人で行ったんです。でも、1楽章の途中で早坂君は青くなって失神しちゃったんですよ。もう、レコードを止めて、頭を冷やすなどして大騒ぎでした。後で「どうした」って聞いたら「いや、ちょっとショックだった」と言って(笑)            相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」:音楽之友社

 千秋庵というのは、千秋庵製菓のことで、現在でこそ店舗数は減ったが私が子供のころはdacc84e8.jpg あちこちに店があった。代表的なお菓子は山親爺というせんべいで、子供心に「こんなおいしいものがあるのか」と思ったものだった。
 おいおい、そのころから私がおやじくさかったのではないぞ。バターと牛乳をたっぷり使った甘みのあるせんべいで、せんべいといってもとてもモダーンな味なのだ。

 TVコマーシャルの「♪ 出てきた 出てきた 山親爺 笹の葉かついで 鮭しょって……」という歌は、しっかりと脳にこびりついている。あっ、山親爺というのはヒグマのことであることを、ここに明らかにしておこう。

 千秋庵といえば、あと、パインの輪切りが上にのっていて、中央のパインの穴のところに缶詰のチェリーが1個鎮座していた円筒型のケーキが好きだった。あの、今ではちょっと貧乏たらしい味が懐かしい。まだ売ってるのだろうか?売ってないだろうな、さすがに。

 伊福部が言っている千秋庵というのは、たぶん狸小路3丁目近くの店舗だろう。
 この店はまだあるが、最近注意して見ていないのでどうなっているのかわからないが、かつては2階が、ハヤシライスが美味しいとされたレストランだった。

 早坂文雄がプロコのコンチェルトで失神してしまったというが、いまは誰も失神しない。私の知る限りでは。
 でも、当時は驚くべき“新しい”音楽だったということだろう。

 2曲のヴァイオリン協奏曲を書いたプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)のヴァイオリン第1番ニ長調Op.19(1916-17)は彼の初期の傑作。
 ベートーヴェンやブラームス、そしてチャイコフスキーのコンチェルト同様、ニ長調という調性だが、曲そのものは毒気のあるもので、また、独奏ヴァイオリンは広い音域を駆け巡り、さまざまな奏法が用いられてもする。
 そんな従来のものとは異なるこのコンチェルトは、初演では好意的に迎えられなかったようだ。

 曲は3楽章から成り、どの楽章もプロコフィエフらしい刺激を含むが、聴き返しているうちにクセになる中毒性に近いものを備えている。

 第2番のときに紹介したモルドコヴィチのソロによる演奏は、第1番でもすばらしい。
 けど、初めて失神させられるような怖いものに挑戦するには2,000円近く出す勇気がないって人のために、廉価なナクソス盤を紹介しておこう。

 パパヴラミのヴァイオリン、ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏。
 1996録音。ナクソス。