7f9eb490.jpg  クリスマスは暴雨のように過ぎ去った。
 そして花祭りにはまだだいぶあるが、正月はもうすぐそこという今日このごろ、私は魔がさしてズドーンと「バビ・ヤール」を聴いてしまった。

 これ、「新世界より」を読んだ影響もあると思う。なんとも明るくない世界……。「新世界より」については、近くあらためて触れるとして、そういうことでズドーンというのは、まあどちらかというと明るくない曲かな?ってことなんだけど、知らない人に断っておくが、“どちらかというと”という心構えで聴くと、あなたは日本語の意味がわからなくなってしまうような、まあそんな曲だ。

 でも、「クリスマスと正月に挟まれた神々の日々に、なぜそんな曲をあえて聴くのか」と、あなたは私に聞くのか?
 お答えしよう。

 この曲が初演されたのは12月18日。続く再演は12月20日。1962年のことだ。

 クリスマスを間近に控えたこの日にコンサートに臨んだ人たちは、どんな曲なんだろとやや覚悟をもっていたとは思うが、覚悟したのは正しくて、「いやぁ、この世にサンタさんなんかいないんだ!」って気持ちになったろう。
 いや、ですから、今年はすでにクリスマスは終わりましたけど。2日前に。

 で、この時期の新聞が薄いように、私の記事も、内容が薄いのは1年中一貫しているとしても、年末だから短めに。

 というのも、この期に及んでなぜか連日会議。まるで年末日替わり大感謝祭のようだ。
 そして連夜の飲酒を伴うミーティング(適切な日本語として“忘年会”が意味的には近いと告白せざるを得ない)。
 その結果、家に帰ったときにはほろ酔いを超えた鈍った感覚、いうなればボロ酔い状態になってしまっていて、ブログの文をなかなか書けないというのが、いまの私が置かれている状況といえる。

 ならば朝に書くという手がある。

 しかし昨日の朝だって、年末年始の新聞を休むという電話を販売店にし、そのあと1階に新聞を取りに行き、しまった!ついでに燃えないごみを持ってくればよかったと、部屋に戻って再び下に降り、ゴミステーションに行こうとマンションの裏側の出入り口に行ったら外から入れないで困っている人がいたので、中にいる私が戸を開けてやり(どうも開錠ボックスがいかれかけているらしい)、ゴミを捨てて戸口の所へ戻り、なかに入ろうとキーを差し込むとキーが回らず、今度は私が入れない羽目になり、しかたないので正面玄関に回ってやっとマンション内部に戻ることができたという、バカバカしくも凍死の危険もある時間を過ごした。
 これほど忙しいわけだ。

 にしても寒かった。
 ソヴィエトで、寒空のもと配給の列に並ぶのはたいへんだったというのが、想像上ながら実感できた。
 
 さて、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第13番変ロ短調Op.113(1962)。「バビ・ヤール」の通称を持つ。。
 第3楽章では、寒い中で行列に並ぶソヴィエト婦人のことが歌われる。
 
 この曲では、コンドラシンヤンソンスインバルといった名演をこれまで取り上げてきたが、今日はコフマン。

 はっきり言って、これもいい。

 非常にしっとりした演奏で、世の無常をあきらめきった、静かなもの悲しさが伝わってくる。
 各楽器の音も美しく響き、特にチェレスタの音が効果的に聴こえてくる。
 残念なのは、バスのソロがやや不安定なところか?この不安定さが曲に合っていると考える人もいるような気がするが……

 その独唱はシュトンダ。オーケストラはボン・ベートーヴェン管弦楽団。合唱はブルノ・チェコ・フィルハーモニック合唱団。
 2005録音。MDG。

 今日は取引先への年末のあいさつ回りで、1日お出かけする。